テーマ:市民運動と政争(5)
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昨夜は、古河の名物祭り「提灯竿もみ」でしたが、私は行きませんでした。今までブログを開設してから毎年レポートを書いてきましたので、楽しみに見に来て下さった方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ありません。がんばって祭りを運営している方々や、参加して楽しんでいる人たちのお顔を見られないのは寂しかったですが、今はそれどころではないのです。祭りは毎年ありますが、文化センターの建設を考えるのは今しかありませんから。
ほかにも、まちのようすや歴史博物館の展示など書きたいネタはあります。でも、古河の行く末を決める重大なときに注意散漫になってはいけないと思いました。自分も、お役に立つ内容を書かなければならないし、市民のみなさんもよい判断ができるように気をそらされてはいけないし、全国の人たちにも今後の地方自治をどのように考えていくべきかを考える参考実例になるかも…。だから書いては消し、書いては消しやっていました。 前回、「文化センター建設への懸念」と題し、文化センター反対の最大の理由であろう「お金がかかるから嫌」ということをとりあげたのに「そのとおりだ!」とか「いくらぐらいならいい」などのご意見がなかったのは意外でした。また、不満や不安だけではダメだというかなり辛口の意見も書いたのに、それに関して何のご感想も反論のご意見もありません。これでは、いいのか、悪いのか、何も考えていないのか、さっぱりわかりません。以前文化センター反対コメントをガンガン書いてこられた方、双方向の意見交換ができないのはおかしくないでしょうか。 「白戸市長は住民投票をやらないから民主的ではない」と聞かされると、もっともだと思ってしまいがちですが、市民に十分な判断材料が示されていない段階でいきなり「文化センター建設に反対です。推進する市長はリコールしよう」と署名を集めるほうが民主的なんですかね? いろいろ都合や思いはあると思いますが、ニュートラルな視点から、きちんと市議会で話をして、疑問点をぶつけて、論点を尽くしてから、市民に伺うのが順番、スジだと思います。とにかく絶対反対、賛成という態度で市民みんなが納得のいく明るい未来につなげられますか? 自分を含め、多くの人には、すべてが見通せているわけではありません。たいてい、自分の得になるのか?ならないのか?という視点でしか見ることができないでしょう。将来のあり方を決めるためには、胸襟を開いてさまざまな意見を聞かなければならないし、お互いに相手の立場に立って物事を見ることも必要だと思います。できるだけ多くの人をプロセスから参加させてみんな理解し、本当に必要なのかどうかを判断していくようにしないと、意見の押し付け合いになってしまいます。ハッキリ言って子供のケンカですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんばんわ。いつもお世話になっています。
投稿内容を考えているうちにまた次の記事が・・管理人様のバイタリティを見習いたいです と言うことで、今回の記事と前回の記事をあわせてのコメントになりますのでご了承下さい。 前回の記事での内容での賛成反対の意見になりますが、 誤投稿した先のエントリーへのわたしの考えを含んでいると思いましたので 改めて書いていませんでした。重ねて書かせていただきますが 私の考え方の方向性は「お金がかかりすぎるのが嫌と」いうわけではなく、文中でも管理人様の書かれていますし 前のコメントにもあります「本来の目的に対する適正な金額でそれが進められているのか」に対してとなります。 ちなみに、「文化センターは後で作る」という話はない というものには私はまた少し違った意見があり、これも賛否をはっきりした内容ではないのですが 今でなくては作れないというのは確かにあると思います。確かにもったいないです。 が一方で無理をする必要はあるのかなという考えも私は持っています。 背伸びをして払いきれない維持費などの負担の大きな建物を無理に立てるのではなく、 本来の身の丈にあったものを(無理のない返済プランを考えて)作るべきではないのか と考えています。 無理な偏差値の学校にギリギリで入ったとしても その後ずっと苦労する必要がでてくる高校生のような・・そんなイメージを持ってしまっています^^; 建設計画に無理があるかどうかは建設計画にあたって公開されているものを見た上でその数字を見て納得できるかになると思いますが それは個々の判断だと思うので今その数字について何処を見ろとかあれこれ言うつもりはありませんので割愛します それと、「白戸市長は住民投票をやらないから・・」についてですが私の記憶があってるか不安ですが 住民投票は市長と市議会の認可の元行われると記憶しています。だとすると 市議会議員で反対している議員がいるということはそこでの話し合いの結果OKが出なかったということですよね。 きちんと市議会で話をして、疑問点をぶつけて、論点を尽くしてたけど、 市民に伺う(住民投票)を行う判断を議会及び市長はしなかったのではないのかなと思いました 住民投票となった場合、そこで初めて争点とされている議題の両者の意見が文書としてまとめられたうえで市民に公開され、 判断の材料となるのではないかと思います そうした段階が踏めないため住民への情報は近隣地区を参考にしたものと市の公開した数字のみで物事は言い争われることになり 市民が判断するには少なすぎる情報に留まっているのではないでしょうか というのが、あくまでもド素人な私のこの考え方なのですがどうでしょう、何処か間違ったところがあるようでしたらご指導下さい と、ここでひとつ疑問が残っています 古河市は合弁の際、住民投票条例を「合併後、必要に応じて再度制定する。」として廃止していると思ったのですが・・・ これが間違いのないものだとしたら話し合いの席すら新生古河市には用意されていないことになり、 不本意で協議の場を飛ばすことになり極論としては過程を飛ばしてリコールすることになると思います 新しく条例が制定されているとしたらこれは蛇足となりますのでご容赦下さい。 私からの本エントリーへのアプローチはこんな感じとなります。 宜しくお願いします。 (2012年12月02日 18時07分04秒)
先の投稿の最後、自己解決しました。そもそも署名は住民投票するためのものでしたもんね。失礼しました。
(2012年12月02日 20時12分44秒)
先ず住民投票をする環境になかったが為、首長の解職運動に進んだ。
総合的文化施設ニュースや市長・副市長からの動画解説等含め 行政の説明遅れ、不足あり。市民の皆さんは根拠ない誹謗中傷ビラを信じ込んでいる。 「お金云々」で反対されている市民の皆さんは合併特例債の有利な財源を理解されていなかった。古河市負担見込みを約42億であるとご説明させていただくと反対しない。「いくらぐらい」の問いには市民感覚と大幅に桁違いでお答えいただけない。 私は合併特例債を使えないのならば、賛成できません。場所ですが、総合的に判断し現段階では東部区画整理地内で止むを得ない。今後の維持管理を考えると他自治体の施設をお借りする場合にはすべてを助成する方法もあります。しかし、人・モノ・カネが市外に流出します。市外から流入しない。 管理人さんの考えと少し違いますが、市民への説明が後になったことが原因だと感じています。当自治体のこの施設事業は大変遅れてしまった。今更感も無いわけではありません。 このリコールは文化センター建設反対を利用した首長解職であります。市民の皆さんはそうだったのかと漸く気づき始めています。 (2012年12月02日 20時48分06秒)
ゆきさとさん、ありがとうございます。
文化センターは適正な規模と金額であってほしいということですね。 反対派は、議会で話し合おうというのを拒否して反対運動を始めたと聞いてます。 検討もせず、ひっくり返すというのでは、危ない革命思想ではないかと感じました。 (2012年12月03日 08時41分43秒)
こがじろうさん、まさに、行政の説明が足りないのが元凶でしょう。古河市は
小久保さんの時代からですが、ある程度作ってしまってから、市民に問いかけます。 自分が関わったものでなければ、人間は気に入らないところを探すでしょう。 そうではなく、市民を巻き込んで新たな時代の市を作るというスタンスにすれば ひとりひとりが責任ある考えをしようとするのに、と思います。 (2012年12月03日 08時42分58秒)
古河市の文化施設建設に賛成する立場で意見を書かせていただきます。
気に入らない人は無視してください。ただし、建設に反対している人たちにも建設をしなかった場合の『責任』をとる覚悟で行動、発言してもらいたいと思いますし、どちらの行動もしない人たちも行動をしなかった『責任』を自覚してください。 文化施設は根本的に採算がとれないものです。採算がとれるものであれば営利を目的として民間の企業が建設をし運営をします。採算がとれないけれど直接的な収益以外の形で市に利益をもたらしますので行政が公共事業として建設し運営するのです。他に代わりとなる施設があれば別ですが、人口146,500人の古河市にはひとつも文化会館が無いのです。 景気が悪い中、企業が切磋琢磨し生き残りをかけているように、街も都市間競争をする時代になっています。周辺の街より魅力的な街になり、古河市に住んでみたい、ここで子育てをしてみたい、この街で老いて死んでいきたい、と思ってもらえる街にしていかなければなりません。そうしていかなければ人口は減っていき街は活気を失い、人口の減少はさらに加速することになります。人口が減れば税収は落ち込み行政サービスは低下します。 これからの古河市に必要なことは、少子化対策、子育て支援、教育の充実です。文化施設建設はその大きな中心をなしています。中途半端なものを作ってはいけません。どうせ作るのであれば、ベルリンフィルやニューヨークフィルを呼べるようなものでなくてはだめです。 そんなトップレベルの音楽や演劇を身近に体験できる環境をつくって、小学校や中学校の授業で生徒達が無償で芸術に触れられるようにすれば、近い将来に一流の演奏家や演劇家が誕生するでしょう。他にも文化施設を生かし教育や文化を向上させ、子育て世代を古河に呼び込むアイデアが生まれるはずです。 古河って(総和地区、三和地区を含めて。わざわざ分けたくはないがエリアを表す適切な名称が無いのでそう呼ばせていただきます。)もともと文化の香り高き街なのです。音楽、絵画、文学、演劇、伝承、祭りに著名な人物や団体、行事がありますし、スポーツだって地域の文化です。しかもそれぞれの世界で技術だけではなく精神性も高いのです。 剣道、柔道、茶道、華道・・・・、それぞれから『道』を取ってしまうと、剣術、柔術となり相手を倒すための技になってしまいます。お茶をたてる技術、花を活ける技術になってしまいます。そこに精神性が強く加わり、倒すべき相手にさえ心を残す、活けるべき対象に想いを宿すことによって『道』となります。古河の文化にはそんな『道』精神があると思っています。その古河の文化を街の力に変えるために、今、行動が必要なんです。 今の政治は国政も地方行政も福祉がその争点の中心です。なぜでしょう?それは若い人が投票に行かないからです。投票所では、投票に来た人が誰なのか確認をして投票用紙を渡しますよね。誰が誰に投票したかは分かりませんが、誰が投票行動をしたかは分かるのです。つまり、何歳代の人達が何%位投票行動をしたかを政治家さん達は知っているのです。 ですから、投票行動をするお年寄りの票を獲得するために福祉を強調するのです。我々の世代がもっときちんと政治に向き合い、我々の世代の利益を要求しなくてはだめです。福祉を切り捨てろと言っているのではありません、子育て世代、就労年齢層が増えれば福祉は支えられます。活力ある世代が、今まで国を支えてきてくれた先輩を敬愛する、弱い立場の人たちを守る、本来、それが正常な姿のはずです。 何か新しいことをしたり、今までにないものを作り出そうとすることは、危ういことのように見えるものです。その挑戦を批判し、アラを探し揚げ足を取ることはことはたやすく、いかにも安全な正しい道を示しているように見えるものです。しかし、その行為は単なる思考停止であり、何のアイデアも革新も生みません。行動をしなければ何も手に入れることはできません。 このチャンスを逃してはだめです。今、きちんと将来を見つめ投資をしなければ古河の未来はありません。反対のための反対をする人たちに惑わされてはいけません。後悔します。 文化施設建設を推進している人たちは建設をしたことによる責任をとる覚悟で行動、発言しているはずです。建設に反対している人たちにも建設をしなかった場合の『責任』をとる覚悟で行動、発言してもらいたいと思います。建設をしなかった、もしくは大幅な計画縮小をした場合、そのことによって失われる古河市の利益についてしっかりと『責任』をとってください。反対し計画を停止させることにも責任が伴うことをしっかりと自覚してください。 (2012年12月03日 19時16分04秒)
マッシュさんの意見に、そうなんだよね~と、
改めて、文化会館の必要性を感じています。 たとえが適当でなかったら、ごめんなさい。 主人から「水戸線は本当は古河に入るはずが 市民の反対にあって、小山にいったんだよ」 と、地元出身でない私は、聞かされていました。 同じ茨城なのに、栃木(小山)経由で水戸に行かなければならない不便さ。その時の反対した人たちを恨めしく思います。 そのために、子供達の通学による高校に選択肢が狭くなって いるのは、言うに及びません。 古河のゴルフリンクス・・・作ったけど、市で維持が難しく なり~~でも無くなることなく、営業しています。 私は、ゴルフはしませんが、無くてもよかったとは、 思いません。石川遼くんが利用してて雑誌にも取り上げられ、もしかしたら彼のような子が、古河からも出るかも しれません。(沖縄のように、それができるような教育が あるといいのですが。) 時には、気球の大会で、ゴルフ場からあがるバルーンを見ていたら、こんな場所もいいな、と思います。 せっかくある時期有名だったサッカーも、クラブチームが よべるような場所があったらどうでしたでしょう? 決断する人は、いつの時も大変です。 反対するのは、なにも生まないような気がします。 こともあろうに、ウチの主人も知り合いの奥様も、 会社で署名が回ってきたから、しただけ~と、 あまりにも簡単に署名しているのでびっくりです。 会社の人は、「反対してもどうせできちゃうんだよ」と、 呑気に言ってます。 反対したら、出来ないですよ! 今回の署名がいい例じゃないですか! 合併したのだから、もっともっと三和も総和も 住所だけじゃなくて、「古河」の住民で、これからの 古河を作っていくという気持ちが欲しいです。 (もちろん旧古河市の住民も同様ですが) 余談ですが、「5588」のあとが、またもや電気屋さんで がっくりです。 鷲宮には、それなりのショッピングモールがオープンして、 ますます古河は置いていかれるんじゃないかと、 危機感にかられます。 (2012年12月03日 23時39分19秒)
taasieさん
おはようございます 管理人様の返信の一点のみについて書かせて頂きますね >反対派は、議会で話し合おうというのを拒否して反対運動を始めたと聞いてます。 とのことですがわたしの伺っている話とはまた違う感じですね 建設見直しを訴える側は市議会で話そうとしても与党多数で話にもされなかったと聞いています それがどの問題に対してどういう資料で話を持ちかけたかわかりませんが何度も場を設けられるよう訴えたがダメだったそうです ただ、この問題については市議会議員がだいぶまえから問題視しているという旨はネットで検索をすると出てますので議会での活動はしていたのではないでしょうか (2012年12月04日 06時58分16秒)
マッシュさん、投資という考え方、良いですね。使ってしまったら終わりではなく、
新しい価値を創造する、そういうお金の使い方をしたいものです。 「採算がとれない」といいますが、投資効果を高めることを考られると さらによいのではないかと思います。またよろしくお願いします。 (2012年12月04日 08時18分22秒)
ぽのままのりこさん、いつもありがとうございます。
水戸線や新幹線は古河が新しく生まれ変わるチャンスでしたのに反対で実現せず、 ほんとうに残念です。歴史や名前だけでは時代は乗り切れませんよね。 住民の「これからの古河を作っていく」という気持ちが本当に大切ですね。 (2012年12月04日 08時21分56秒)
ゆきさとさん、たぶん、双方の視点の違いによるものなんでしょうね。
意見が違う場合、相手の言ってることを敬意をもってよく聞き理解しようと努めれば こそ、こちらの言っていることも理解される余地がでてくるのではないでしょうか。 少数派であればなおさら気遣いが必要だと思います。我慢強く話し合いをしていれば、 同調してくれる人が出ていた可能性もあります。その過程で賛成派が気づいていない ことも公的な場で明らかにしていけたでしょう。もしかしたら、「絶対ダメ」という 全否定的態度で臨んだために、よけい疎外感を味わうことになってしまったのかも。 (2012年12月04日 12時13分13秒)
こんにちわ。
朝書き込みをしたと思ったのですが投稿されていなかったようなので再度投稿してみます。 私のブログにてこちらの私の書き込みにあった住民投票について色々調べたことを書いてみています。 エントリーを作る元になった話題でしたのでこちらを紹介させていただいていますので問題あるようでしたらご連絡下さい。 ttp://blogs.yahoo.co.jp/yukisato919mdni (2012年12月08日 14時57分19秒)
ゆきさとさん、よくお調べになっていますね。
文化センター建設に反対ならばリコールではなく、住民投票を請求すれば良かった ように見えますね。であれば、市長側は、なぜ指摘しなかったのでしょうか? (2012年12月09日 01時03分38秒) |
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