谷中村廃村100年
古河歴史博物館で「谷中村のくらし」展を見てきましたので、レポートします。古河の西に広がる渡良瀬遊水地には、かつて谷中村という村がありました。江戸時代には古河藩領だったところです。肥沃な土地で農業が盛んな村でした。ところが足尾銅山から排出された硫化銅によって大きな被害を受けました。足尾鉱毒事件は国内第一号の公害事件で、これを追求していたのが明治期の政治家、田中正造氏です。彼は国会で鉱毒問題について数度にわたり質問を行いましたが、解決しなかったため辞職し、明治天皇に直訴しました。願いは聞き届けられませんでしたが、田中正造の名は全国にとどろくことになります。さて、河川の氾濫による鉱毒の被害を憂慮したときの政府は、谷中村に貯水池を作る計画を策定し、反対活動にもかかわらず、栃木県は土地を強制買収し、1906年7月、谷中村の廃村が決まってしまいます。こうして450戸2500人は古河のほか周辺地域に移住しました。正造翁は谷中の地に移住し、最後まで抵抗したそうです。「谷中村のくらし」展では、以上のいきさつの詳しい解説に加え、村民の使っていた農具、漁具、日用品などが展示され、当時の生活を偲ばせてくれます。7月9日までです。 古河歴史博物館公式ホームページ