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真理を求めて

2004.09.08
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カテゴリ:ジャーナリズム
チェチェンという国については、ロシアに対する抵抗戦争が続いているということは知っていても、それがどのような戦争かということについては、僕はほとんど知らなかった。もちろん、一般的には強大な権力を持ったロシアという国家の方が、利権を守るために理不尽なことをしているだろうという予想はしていたが、それはあくまでも抽象的なイメージであり、具体的にはどのようなことをしているかは知らなかった。

それが、「チェチェンやめられない戦争」という本を読んで、その戦争の具体的な姿を知ると、その悲惨さと絶望的な姿に予想以上のものを感じる。このような境遇に追いつめられた人は、すべてに絶望してあきらめ、人間の抜け殻のように生きていくか、その理不尽さを感情的にぶつけるべく、「テロリスト」と呼ばれる人間になるしかないのではないかと感じてしまう。

チェチェンは、不幸なことではあるが「テロ」という悲惨な事件によって注目を集めることが出来た。それがなかった間は、遠い位置にいる日本人はもちろんのこと、近くのロシア人でさえチェチェンの地で何が起きているかを全く知らないでいたことが、「チェチェンやめられない戦争」を読むと分かる。そして、「テロ」が起きたあとは、おそらく権力によって捏造された情報がロシアの側には流されるだろうと予測できる。それは、チェチェンに対する憎しみをかき立て、さらなる弾圧を正当化するためにそうするだろうと予想できる。

現代社会の構造として、マスコミを握っている権力の側が、自らに都合の悪い情報は決して国民に知らせることはないだろうと言うことは、これまでの事実を学ぶことによって結論することが出来るだろう。だから、権力の側にいない我々は、権力が隠したがる情報を見つけることが必要だ。そういうものを「週刊金曜日」からちょっと拾ってみよう。

川崎けい子さんという映像ジャーナリストが報告する「消えゆく水と緑 砂漠化するアフガニスタン」という記事がある。アフガニスタンについては、ソビエトとの抵抗戦争の際や、アルカイダとの関係が宣伝された時は、マスコミが盛んにそのニュースを送ってきた。これは、そのニュースが、権力の側にとって都合のいいニュースだったからだろう。

しかし、現在の様子はほとんどマスコミからは入ってこない。時々抵抗勢力が事件を起こしたというニュースが送られては来るけれど、その背景を分析したり、現実のアフガニスタンの人々の生活がどうなっているかは全く知らされていない。この記事は、その知らされていないことを補う貴重なニュースだと思う。この記事から、事実に関する部分を探して抜き出してみよう。

「今、アフガニスタンでは干ばつの被害が広がっている。元々乾燥した土地だが、ソ連軍の軍事介入と内戦に加え、米軍の攻撃による荒廃が、水脈と生態系に壊滅的な打撃を与えたのだ。国連環境計画(UNEP)が昨年1月に発表した調査でも、ヒルマンド川の水位が1998年以降急速に下がっていることを指摘しているが、私が訪れた昨年5月よりも、さらに水が減っているように見えた。」

戦争による破壊は、日常生活の破壊である。決して軍事的な対象を破壊するだけにとどまらない。アフガニスタンも、アルカイダに対する報復ということが言われて、その攻撃は多くの人々に肯定されてしまうような雰囲気があるが、日常生活の破壊という事実を知った時、同じように、報復だからという理由で戦争を肯定することが出来るだろうか。

チェチェンでもそうだが、一般民衆にとっては、戦争は、住居の破壊であり、基本的な生活環境である水やガスなどのインフラの破壊であり、生きていると言うことが、単に死んではいないと言うことを意味しているだけの生活を強いている。そこには何の希望もない。

アフガニスタンでは、そのような生活の破壊に加えて、自然環境の破壊も進んでいるという記事がこの報告だ。アルカイダへの報復が、アフガニスタンの一般市民をこのような状況に追い込むことに対しても正当化されるものになるのだろうか。

アフガニスタンへの攻撃が終わった後の方が、アルカイダの「活躍」が増えたように見えるのは、アルカイダへの報復としての戦争も果たして意味があったのかどうか疑わしい。結局市民の生活を破壊しただけで、いったい誰がどのような利益を得たというのだろうか。そのことについても、我々には何も知らされていないようだ。

生活の破壊はいくつかの悪循環も重なって、ますます進んでいるようだ。ある村にはただ一つある井戸の水がもう枯れてしまうという。深刻な水不足は、小麦を実らせなかったらしい。先進資本主義国では、水が少ないところでも、水を溜めるなどして、自然をコントロールして生活を守る工夫がとられている。しかし、貧しいアフガニスタンでは、雨が降らなければ水不足になり、全くの自然まかせだ。その自然が破壊されつつあると言うことは、自然まかせも運が悪いことが続くと言うことになりかねないだろう。

水がないので、「地面はどこもかちかちで、わずかに生えている草を、羊や山羊がせっせと食べている」そうだ。しかし、「草を食べ尽くしてしまうと、風や水で土壌が流されて土地が劣化してしまう」そうだ。家畜を育てるためには草を食べさせなければならないが、草が少ないのでそれを食べ尽くしてしまい、そのために土地がやせて草が育たなくなる。結果的には家畜も育たなくなってしまうだろう。しかし、その悪循環を止める方法はアフガニスタンにはない。

我々に伝わってくるのは、食料がない時に直接食料を援助すると言うことだったりするが、アフガニスタンの人々が、自力で自立して生活するための援助というものは、ほとんどされていないのではないだろうか。破壊されたものを復興するというのは、簡単に援助できるものではないのかもしれない。それが分かっていれば、我々はもっと、破壊に反対するのではないだろうか。

アフガニスタンで選挙が行われるというニュースは、アメリカ主導の「民主化」ということの宣伝で、いくつかはマスコミにも流れている。しかし、僕の記憶に残っているのは、初めて女性が参加できるようになったとか、今までよりも良くなったと思われるところの宣伝ばかりだ。その実態は本当はどうなのかということは全然伝わってこない。川崎さんの記事には次のような記述がある。

「8月1日の朝に、有権者登録事務所の取材を申し込んだところ、アフガニスタンの一部の地域を除いて、有権者登録の受付は7月31日で終了したと言われ、取材できなかった。だが7月31日で終了と言うことがきちんと伝わっておらず、通訳をしてくれた女性は、「7月31日までとは知らなかった。有権者登録をしたかったのに」と憤慨していた。」

有権者登録をちゃんと知らせないと言うことは、権力の側にとって都合のいい者だけを有権者登録させるという操作が可能になる。そうしているという事実を指摘するのは難しいだろうが、「民主的な選挙」だという宣伝をするのなら、このような不手際があっては胸を張れないだろう。

マイケル・ムーアも、アメリカの大統領選挙において、選挙人の登録に不正があるということを告発しているが、そのようなものがあるということは、その選挙は、形だけ民主的なものだということを整えるためのものに過ぎないという批判を免れない。民意を反映しているとは言えない選挙になってしまう。しかし、形としての民主的な面はマスコミによって宣伝されるが、それが形だけだと言うことは報道されない。

また一方では、主体的に判断しているとは思えない人々が、すでに選挙人登録を終えているという実態も川崎さんは報告している。民主主義というのは、個人が判断したことが民意として反映され、多数を占めた考えが政策の決定にあずかるというシステムだ。個人が判断能力を持っていなければ、それは一部の権力者の恣意的な判断を、形として正当性を与えるようなものになってしまう。

川崎さんの接した女性たちには次のような面が見えたそうだ。

「ある女性は、「私は教育を受けたことがないので選挙については何も知らない」といいながら「選挙には必ず行く。良い人を選びたい」と言った。おそらく、村の長老か夫から、あの人に投票しなさい、といわれればその通りにするのだろう。昨年、避難先のパキスタンから帰還した女性は、「私は教育を受けていないから投票できないけど、カルザイに当選して欲しい」と語った。あなたが自分で投票して選ぶことが出来る、と何度説明しても、自分が投票するとは考えない。読み書きも出来ない女性たちには、自分で何かを判断すると言うことがどういうことなのかさえ、分からないようだ。」

アフガニスタンの民主化には、教育の改革というプログラムは入っているのだろうか。「自由」の意味を教える教育はなされるのだろうか。それを抜きに、精神は今までのままで、制度だけ民主的なものを整えても、それは権力者の恣意的判断に正当性を与える形だけのものになるのではないか。

それにしても、読み書きという基本的教育が、精神の自立にまで関係しているという洞察は、川崎さんの鋭い洞察だと思う。読み書きで苦労してきた人生を送った夜間中学の人々を知ると、それが人間の自立に大きな関係を持つということが実感としてよく分かる。

もっとも、自分の考えによって選挙で人を選んでいないと言うのは、ついこの間までの日本でも同じだった。(最近はちょっと変わってきたと思う。組織の締め付けが弱くなってきているからだ。)高い教育を受けている日本社会でさえも、民主主義は形だけのものに終わっていた。民主主義がスタートしたばかりのアフガニスタンで、このような問題が起こっているのは無理もないのかもしれない。しかし、このことをよく知った上で、アフガニスタンの民主化を見ていかなければならないだろうと思う。それは手放しで礼賛するものではないと思う。それでも今後教育改革がされれば、民度では日本を追い抜いてしまうこともあるかもしれないが。

民主制では、長らく軍事独裁が続いて、遅れてスタートした韓国が、今や民度では日本を追い抜いているように見えるのだから、教育制度の改革が進めば日本の民度はすぐに追い抜かれてしまうかもしれない。そういう点でもアフガニスタンに注目していこう。

アフガニスタンの選挙は、イラクでの選挙の問題にも通じるものだろう。イラクの選挙も、果たしてその形と実態とが、今の段階ではどの程度乖離しているのかというのに注目していきたいものだ。

知らされていないことは、それに注目して、自らが求めない限り知ることは出来ない。知るための努力をすることは一つの行動であると思う。かつては、知るための努力をすることさえ犯罪になるような軍国主義の時代もあった。軍国主義の時代には、マルクス主義の学習をしようとしただけで犯罪者にされたことが、映画や小説などでも描かれている。今の時代はそこまでひどくはないが、逆に言えば、マスコミの宣伝が行き届いて、学習意欲の方が生まれなくなってしまった。

きっかけは何でもいいと思うが、知らされないことを求めて学習する意欲は失わないようにしようと思う。「チェチェンやめられない戦争」にも、知らされていない事実がたくさん溢れている。今度はそれを抜き書きしてメモしておこうと思う。






最終更新日  2004.09.08 09:37:53
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