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真理を求めて

2004.09.10
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カテゴリ:ジャーナリズム
チェチェンのことを知れば知るほど、この国がひどい扱いを受けて疲弊していることがよく分かる。ほとんど女か子供くらいしか国には残っていなくて、抵抗者になりそうな男たちは、チェチェンの人間だという理由だけで虐殺されているように感じる。残された女や子供も、見逃されたわけではなくて、その危険な男(武装勢力)をかくまったということで虐殺される。

しかし、武装勢力がこれらの虐げられたチェチェンの人々を助けたという事実に出会わない。かつてのベトナムの解放戦線だったら、侵略軍である米軍や傀儡の南ベトナムの軍隊には抵抗したけれど、民衆を襲うことはなかったし、むしろ民衆を助けて働いていた。だから民衆の支持を受けて、民衆に助けられるところもあっただろうと思う。チェチェンの抵抗勢力であるはずの武装勢力にはそういう面が見えない。

むしろ武装勢力がいるおかげで、罪のない民衆が代わりにやられているような感じさえする。そして、ロシアの軍隊は、武装勢力を掃討するのではなく、チェチェンの民衆を暴力で迫害しているようにも見える。この構造はいったいどういうものにつながっているのだろうか。

「チェチェンニュース」と呼ばれる情報に、「■「学校占拠犯にチェチェン・イングーシ人はいなかった」など」という記事があった。ここでは次のように伝えている。

「ロシア側の発表では、一味の構成は、チェチェン人、イングーシ人、カザフ人、アラブ人、スラブ系だった。しかしコメルサント紙は、2日に校内に入って占拠グループと接触したイングーシ前大統領ルスラン・アウーシェフが「中にイングーシ人はいなかった」と語ったと伝えている。
「疑惑の数々が浮上中 ベスラン事件」

この事件は、マスコミではロシア政府発表の記事が多く、本当のところがかなり隠されているのを感じる。「テロ」というのは、普通は政治的意図があって、その意図を通すために恐怖を利用して交渉するというものだと思う。しかし、犯人の側にどのような政治的意図があったのかということもハッキリしない。むしろ、悲惨な結果を起こすためにやられたのではないかと、その結果から疑われるような感じさえある。

武力を持たない虐げられた人たちが、理不尽に殺されていくのを見過ごしてしまうのは、我々の文明が倫理というものを持っているのかどうかが問われているのだと思う。我々の文明が倫理を持っていないなら、今は弾圧されていない我々も、状況が変わればいつ弾圧される側に回るかは分からない。倫理の問題は、我々にとっても深刻な問題なのだと思う。アンナさんが報告するチェチェンの事実を、今日もいくつか「チェチェンやめられない戦争」から拾ってこよう。

権力の側が不法な弾圧をしてくる例を見てみよう。

「ファチマの息子は寝ているところを朝5時に連行された。ワッハーブ派であると自白しろと、内蔵をねらってさんざん殴られた。しかし、ファチマの家族は、あの長いあごひげのワッハーブ派と長く戦い続けており、ワッハーブ派からねらわれている一族だというのに、その仲間だなどと自白できるはずがなかった。
 朝6時にファチマは他の女たちと一緒に警察の入り口に立っていた。まもなく将校が出てきて、言った。「500ドル、午後3時までだ。それが出来なければ、息子にはもう会えないぜ」。」

不法に逮捕・連行して金を請求するというのは、チェチェンでは当たり前のことになっているらしい。ただでさえ貧乏なのに、その生活を破壊するような金を要求している。そのような人々が、どのようにして「テロリスト」を支援できるだろうか。

アンナさんが、チェチェンの子供たちを描写した次の言葉は、チェチェンで行われていることを象徴しているように思う。イーサという子供について、次のように書いている。

「イーサが戻ってきて、リーザが通訳してくれた。彼に関心があったのは、プーチンはなぜアメリカのテロの犠牲者には黙祷を捧げようと言ったのに、何の罪もなく殺されていくチェチェン人については何も言わないのか?どうして洪水で流されたレンスク市のことはこんなに大騒ぎをして、ショイク非常事態相は大統領にレンスクの街を再建しますと約束するのに、チェチェンではすべてが破壊されていても誰も何も約束してくれないのか?どうして、原子力潜水艦「クルスク」の乗務員が死んでいくと言って、国全体が震撼させられたのに、コムソモーリスコエ村から逃げ出した人々が畑で何日間も銃殺され続けてもあなた方は黙っていたのか?ということだった。」

このようなダブル・スタンダードの理不尽は、虐げられ・弾圧される人間だったらすぐに分かるし、実感として肌身にしみて分かるだろう。このなぜに公に答えられる人間は誰もいないだろう。すべては不当な利益に絡んでいることだと思うからだ。不当な利益をむさぼる人間が、弱い人間の犠牲を求めるのだと僕は思う。この崩壊したモラルを立て直す倫理は、果たして我々に残っているのだろうか。

次の話は、ならず者兵士たちの「ビールを出せ」という要求に対して、ないものは出せないと断ったアイシャドという女性の話だ。チェチェンのロシア兵がいかにならず者であるかがよく分かる。

「それから1時間くらいあとだったと思うけど、あのときの二人の兵士がうちの部屋を歩き回っているのさ。あちこちひっくり返している。そして言うのさ。「今度は掃討作戦で来たんだ」って。私たちがビールを出さなかったことを罰しに来たんだって分かったよ。兵士たちはうちの薬箱を全部ひっくり返した。夫はぜんそく持ちだったんだ。兵士の一人は孫たちが寝ている部屋へ入っていった。そこでは、5歳、1歳半、4ヶ月の子供たちが寝ていた。嫁が強姦されるのではと、とても不安になったよ。子供たちが泣き叫ぶのが聞こえた。もう一人が私の夫を台所に連れて行った。夫のアバスは86歳。夫がお金を差し出しているのが分かった。そしてすさまじい悲鳴が聞こえた。兵士は夫をナイフで刺し殺したのさ。そいつは台所から戻って、私を寝室に連れて行った。私はもう動くことすら出来なかった。兵士はベッドを指さして、やたらにやさしく言った。「おばあちゃん、ここに座んな。お話ししよう」。そして自分も向き合って座った。「俺たちは人でなしじゃない、警察特殊部隊(OMON)だ。仕事だからやってんのさ」。子供たちが泣き叫んでいるのが壁越しに聞こえる。「子供を脅かさないで」「分かった、そうしよう」。またやさしく答える。そんなことを言いながら、立ち上がりもせずに持っていた自動小銃で私を撃ったんだ。ついこの間、嫁から聞いたよ。私を撃ったあと、扉を閉めて出ていったんだそうだ。」

小学校襲撃事件では、無抵抗の子供たちが犠牲になったことに世界中が憤っていた。しかし、チェチェンでは、同じように、無抵抗で、罪のない人々が殺されていっても誰もそれに気づいていない。犯人たちはやりたい放題をしているが、その犯人たちを罰する法律はない。権力が不法なことをすれば、それを裁く法律はなくなってしまう。この権力の犯罪を、我々はどうやって糾弾することが出来るだろうか。

戦争では女が犠牲になることが多い。モラルの崩壊の中でも、最も悲惨で気分が悪くなりそうな問題だ。日本でも、いわゆる「従軍慰安婦問題」に過剰反応する人たちは、それが最も恥ずべきモラルの崩壊であるから、認めたくないと言う気分が出てきてしまうのだろう。チェチェンでの次の事実も、常に戦争に伴うものとは言え、恥ずべきものであるのは変わりない。

「44歳のマリーカ・エリムルザエヴァは病院のオイルクロスの上に髪を散らして、うめいていた。医師は彼女の頭を持ち上げようとするが、彼女は痛みのあまり、意識を失ってしまう。豊かな美しい赤毛があちこち皮膚ごとはがれている。まるで誰かが頭皮をはごうとしたかのように。
 起こった事態は反吐が出るようなひどいものだった。マリーカがすんでいるのはグローズヌイ市の第一団地、キーロフ通りの5階建てのアパートだが、その棟に住んでいるのは女ばかりだった。午前2時頃、扉を激しく叩く音がした。「開けやがれ、売女!掃討作戦だ」
 扉を開ける。他にどうしようがない。扉を壊さないでさえいてくれれば。軍服を着て覆面をしているが、(話し声で判断すると)チェチェン人とロシア系が混じっている若者の一団が略奪に来たのだ。ここはそれでなくても一度ならず略奪されているのに。
 マリーカのアパートには親類の3人の女性が寝ていた。一人は15歳だった。連中はその子を示しながら他の者たちを怒鳴りつけた。「言うことを聞かないと、こいつを死ぬまで強姦するぞ」。彼らはマリーカの髪をつかんで階段を引きずっていき、上の階にある他の家のドアをノックさせ、扉を開けさせた。
 すべては略奪と流血で終わった。その夜、その棟にいた女たちはすべて腎臓、頭、すねを容赦なく殴られた。
「奴らは、誰かを強姦したの?」
 マリーカは黙って、ただうめいていた。マリーカを病院につれてきた人たち--マリーカが扉を叩いたので開けた隣人たち--も黙っていた。彼女たちの沈黙は固かった。
 強盗たちのキーロフ通りでの饗宴は朝の5時まで続いた。グローズヌイ市では略奪団はその「宴会」の場から午前6時の外出禁止時間の終了までに立ち去っていくのが習わしになっていた。」

もし神という者がいるのなら、力弱いものは、このような無法を神が罰してくれるのを望むだろう。神ではなく、悪魔が罰を下してくれるのなら、悪魔に魂を売り渡してでも罰を下してくれるのを期待するかもしれない。

このような環境の中で育つ子供たちが、恨みを一身に背負い、恨みを晴らすことだけを生き甲斐にして青年になれば、「テロリスト」になることは十分理解できる。その行為は肯定できなくても、感情の方向は、どうしようもない方向にしか行かないだろうと言うことがよく分かる。

しかし、「テロリスト」になる若者たち自身は、資金も何もない若者たちだろう。では、誰がこの若者たちを、死をも恐れない「テロリスト」に育てるのか。彼らの狂信的な純情さを利用するのはいったい誰なのか。「テロ」との戦いは、そういう者たちとの戦いでなければならないのではないだろうか。

ロシアがチェチェンで行っている「テロとの戦い」は、むしろ「テロリスト」ととの馴れ合いの中で、暴力の限りを尽くしているならず者の行為だ。しかし、世界中で行われている「テロとの戦い」は、実際にはすべてチェチェンで行われているものと同じではないのか。イラクでもそうなのではないか。チェチェンをきっかけにして、我々は、「テロとの戦い」の欺瞞性を知らなければならないと思う。





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最終更新日  2004.09.10 09:53:47
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