報道は事実を伝えることが大事だが、その事実は評価につながるものでなければならない
昨日は国会がかなり荒れた状態になったようで、今朝のニュースでもいくつかその関連の報道があった。「「公務員法案を可決=自・み、委員長解任案提出へ-衆院内閣委5月12日19時38分配信 時事通信」」という記事では次のように書かれている。「衆院内閣委員会は12日午後、国家公務員法改正案を採決し、民主党の賛成多数で可決した。自民、公明、共産、みんなの野党4党は審議不十分として反対した。同改正案は13日の衆院本会議で可決、参院に送付される見通し。自民、みんなの両党は、田中慶秋内閣委員長(民主)の解任決議案を共同提出する方針だ。 田中委員長は、同日の審議を終えた後、質疑終局を発議。野党理事らが委員長席に詰め寄り抗議したが、発議は可決。その後、「4月1日」としていた施行日を「公布日」に改める修正案と併せ、同改正案を可決した。 民主党の採決強行を受け、自民など野党4党の国対委員長が会談。自民党が田中委員長解任決議案の共同提出を呼び掛け、みんなの党が応じた。自民、みんな両党は、13日の本会議前に同決議案を提出する考えだ。 公務員法改正案は、各府省の幹部人事を政治主導で行うため、人事を一元管理する「内閣人事局」を内閣官房に新設するのが柱。事務次官、局長、部長を同格とし、首相官邸の判断で各府省幹部の「降任」を柔軟に行えるようにする。」僕は、この内容に少々の違和感を感じる。確かに、事実を伝えるという報道の基本は守られている。だが、その事実の選択がふさわしいものに思えない。たとえば、・「自民、公明、共産、みんなの野党4党は審議不十分として反対した。」という事実を伝えているが、この事実に対して、「反対した」という行為を評価し、「自民、公明、共産、みんなの野党4党」に賛成するかどうかの判断がつかない。この反対が、何に基づいているかという報道がここにはないからだ。文脈を見ると、採決を強行したことに対して「反対」なのかというふうに見えてしまうが、それだけが判断の要素になっているのであれば、あまりにも短絡的すぎる判断だ。だいたい、自民党は「強行採決」ばかりやってきたのに、「強行」そのものに反対しているとしたら、過去の反省が全くないことになるのではないか。本質的には、この法案が問題があるからこそ、その問題についてもっと審議すべきで、それをせずに強行に採決するから反対だ、とならなければならない。この法案の本質的な問題というものが報道されていないので、強行したということだけが何か問題であるかのように受け取れる文脈になってしまっている。これは事実の報道としては不十分ではないかと思う。この法案の問題が、広く知られているものならば、強行に採決したということを報道するだけで多くの人が問題を了解するだろうが、果たして、法案そのものの問題は今までにたくさん報道されて、多くの人の常識になっているのだろうか。「「<公務員法案>強行採決「総人件費2割減」示さず」5月12日21時42分配信 毎日新聞」というニュースを見ると、この法案の問題は、「公務員制度改革の全体像を示さないまま「首相官邸主導の幹部人事」を優先した法案に野党は、民主党が昨夏の衆院選で掲げた「国家公務員の総人件費2割削減」の道筋が示されてない、と批判を浴びせた。」と報道されている。このことをすぐ評価できる人はどれくらいいるだろうか。たとえば、「首相官邸主導の幹部人事」と「国家公務員の総人件費2割削減」は、どちらが優先されることが正しいかは、誰にでも明らかですぐに判断できることだろうか。「国家公務員の総人件費2割削減」ということが優先されるべきという判断が正しいなら、野党の反対が正当だということが結論される。だがそれは本当だろうか?「国家公務員の総人件費2割削減」ということは、民主党がそう宣言すればすぐに出来ることなのだろうか?何らかの段階を踏まなければ実現できないことなのではないだろうか?「首相官邸主導の幹部人事」を後回しにして、「国家公務員の総人件費2割削減」を先に実現できるという判断は正しいだろうか?これは、中身を理解しなければ評価は難しい。上の記事では、「鳩山政権は「天下りあっせん禁止」を打ち出したため、早期退職勧奨がなくなり退職者が減っている。例年通りの新規採用では定員オーバーとなるため、11年度の採用は半減の4600人に抑える。それでも給与の高い中高年が多く残るので人件費は逆に増大する。」という報道も見られるが、これにも違和感を感じる。この記事を書いた記者は、「早期退職勧奨がなくなり退職者が減っている」のは「「天下りあっせん禁止」を打ち出したため」だから、「天下りあっせん禁止」をやめた方がいいと主張したいのだろうか。「給与の高い中高年」に問題があるとの指摘もあるが、それはどういう問題なのか、という指摘はない。具体的に指摘しなければ問題の解決も考えられないのだが、それはこの記事を書いた記者には問題意識として存在しないのか。記事の終わりの方には、「みんなの党の渡辺喜美代表は12日の記者会見で「幹部を終わった人が『窓際幹部』になるとんでもない法案」と批判した。」と書いてあるのは、役所内でふさわしい能力を発揮できないのに、高給で居座る中高年の問題が大きいという主張だろうか。このことに関連して記事では、「最大の焦点は、出世ラインから外れても天下りできず省内に残る中高年の扱いだ。政府は「高位の専門スタッフ職」と、自主退職者に退職手当を上乗せする「希望退職制度」を創設し解決を目指す。」という記述も見られる。出世ラインから外れたら、天下りでその人間を外した方が合理的だと、主張したいのだろうか。確かに、今まではそれが合理的だと考えて「天下り」をしてきたのだろうが、それが弊害を生むことが明らかになってきたので、「天下り」をやめようということになってきたのではないだろうか。だいたい、「出世ラインから外れた」人間というのは、その専門分野では能力を発揮できないということが判断されたとも考えられるのであるから、同じような分野に天下りしても、そこで能力が発揮できるとは考えられない。結局は、仕事をせずとも高い給料を払うようなポストを作って天下ることになるのではないだろうか。そのような天下りの状況が続くことと、役所に居残って高い給料を払うこととを比べて、どちらが将来的に問題の解決の方向を向いているかを判断することが必要ではないかと思う。そのための事実の提供を報道機関はすべきではないかと思う。ある部門での能力が発揮できなかった人間は、その能力が発揮できるような部署を見つけることを援助するシステムこそが必要だろうと思う。公務員として厳しい試験をくぐり抜けてきた人間たちが、全くの無能だとは思えない。仕事の特殊性が、その人の能力に合わなかっただけのことだろう。だから、人材を生かすためにも、その人にふさわしい部署を探すことこそが必要だろうと思う。与党案と野党案は、そのような点でどのように工夫されているのか。それはどこかで報道されているのだろうか。それが報道されていなければ、一般市民にはどちらに賛成したらいいかの判断が出来ない。「国家公務員法改正案の要旨」という記事では「政府が9日、与党に示した国家公務員法改正案の要旨は次の通り。 1、幹部職員は、事務次官、長官、局長、部長またはこれらに準じるポストに就いている職員。 1、内閣官房に内閣人事局を置き、幹部職員人事の一元管理に関する事務を所掌する。内閣人事局長は、首相が指名する官房副長官を充てる。設置は4月1日。 1、首相(官房長官)は適格性審査を行い、合格した者で幹部候補者名簿を作成。任命権者(閣僚)は名簿の中から幹部職員を任用する。 1、首相または官房長官は、内閣の重要政策を実現するために必要があると判断するときは、任命権者に対し、幹部職員の任免について協議を求めることができる。任命権者は、幹部職員の任免を行う場合は、あらかじめ首相および官房長官に協議する。 1、幹部職員の公募は、首相が一元的に実施する。 1、事務次官と局長級は同一の職制上の段階に属するとみなす。他の幹部職員と比べて勤務実績が劣っているなどの要件に該当する場合、任命権者は次官・局長級から部長級への降任を行うことができる。 1、内閣府に、民間人材登用・再就職適正化センターを設置し、組織の改廃で離職を余儀なくされる職員の再就職や官民人事交流の支援などを行う。センター長は首相が指名する閣僚を充てる。センターには第三者機関として再就職等監視・適正化委員会を置き、再就職規制の違反行為について調査・勧告する。設置は4月1日。(2010/02/09-12:05)」と報道されている。この文章を読んで、この法案がすぐに評価できる人は、よほど基礎知識を持っている人だろう。これによって、公務員問題はどう変化するのか、あるいはどこが足りなくて有効性を失っているのか、ということは解説がなければ分からない。国会議員も、このことを分かりやすく説明しようとする人間が少ないように感じる。上の記事には、「12日の質疑では、公明党の高木美智代氏が改正案を「全体像がなく付け焼き刃」と切り捨てた。また、自民党の平井卓也氏が「官僚にすり寄り、労組に土下座してどうやって2割削減するのか」と聞くと、仙谷由人国家戦略担当相が「土下座せねばならない労組がどこにあるのか」と激しくやり返す場面も。改革の実現時期については「政権交代後4年間」(階猛総務政務官)と歯切れが悪かった。」という政治家の言葉のやりとりも報道されていたが、感情的な罵詈雑言のたぐいにしか聞こえない。このような言葉しか使えないのであれば、国会議員も、その人にふさわしい資質を持っていない人はリストラするか、削減して人件費を抑えた方がいいのではないかとも感じた。国会議員も自らの公務員問題として自覚して欲しいと思う。