食生活が合否を分ける?■ 食生活が合否を分ける?!(好き嫌いへの対応) 塾での合宿で、成績順のクラスが順番どおりに並んで食事をしたことがありました。 食事時間が終わって、生徒が教室に戻り、テーブルの片付けを講師がして驚きました。 食べ残しの量が、成績順と正比例しているのです。 最上位クラスの生徒は全く食べ残しがないのです。 逆に、最下位のクラスの食べ残しはひどいものでした。 ここまで顕著に出るのかと思うほど。 食べ物に対して「好き」「苦手」という気持ちは、だれにでもあるでしょう。最上位のクラスの生徒にだって苦手な食材はあるはずです。 ですが、食後の皿にははっきりとちがいが出ました。 そして、保健室を利用する生徒の数もこれと同じような結果になっています。理由はいくつかあると思います。 まず、栄養的な面。言うまでもないことですが、人間が生きて、活動するエネルギーのすべては食べ物から摂取しています。その栄養の差が脳力の差となるのは当然と言えるでしょう。バランスよく食事ができているというのは、体力もあり、集中力の持続にも役立ち、頭の回転にもつながっていると言えます。 次に、家庭での食事の時間に子どもが「これ、キライだからいらない」と言った場合、結局それを認めてきてしまったという長期間の経験は、子どもに「イヤなことは避ければいい」という経験を積ませたということです。 好き嫌いを克服するように少しずつでも躾られた子どもは、「自分がどんなにイヤでもなにがなんでも食べなきゃいけない」つまり、「小さな苦手を克服する」という経験を積んだということです。 家庭でのその経験を勉強にも応用できて、難しい問題や苦手な単元にも前向きに取り組めるようになっていきます。 「大人がした方がいいと言っても、自分がイヤならしない」子どもと 「大人の指示は絶対だから、やるしかないんだ」としぶしぶながらも取り組む子ども、 そして、大人の言う意図を理解して「なるほど。私もそうするべきだと思う。」と納得して取り組もうとできる子ども、 確実に勉強への意欲の差ができているのだなぁと。 前者は大人の言うことを100%受け止める力が弱いので、忘れ物が多かったり、口答えが多かったり、苦手科目は手を抜くという部分が目立ちます。 「受験やめる」「塾やめる」「宿題してないから休む」「今日おなか痛いから休む」・・・というような弱音を吐きやすいというのも、今まで自分の言い分が通ってきた子どもに多い性質です。 さらに、入試当日のプレッシャーに負けてしまい、自分の実力が発揮できなかったケース、模擬テストでは十分に合格ラインに入っていながら不合格になってきてしまったというケースには、こういう部分にも原因の一つがあると考えられます。 例えば魚を一口食べるのと、「水酸化ナトリウム水溶液と塩酸の実験の問題」を理解することとどちらが難しいでしょう。 食べ物を一口食べることすら拒否する生徒に、興味を示さない応用問題の説明をしっかりと聞かせ、理解させ、自分でも復習する、テストのときに解けるようにするのは可能でしょうか。 授業内で、そのときばかりは解けるように指導することはできます。 しかし、初めから「拒否」の姿勢で得た知識の記憶は、またたくまに消えるものです。 「したくない」と「しなくちゃいけない」のどちらを優先する子どもか、後者を選べるようにしつけてあげるだけで、ずいぶんと差がつくのは想像できると思います。同じことをしなくてはいけないのなら『負担』だと感じないように、『して当然なんだ』と思わせる方が本人たちはずっとラクなはずです。 無理やり強制して食べさせるという意味ではありません。 「一口だけでも食べてごらん。」「今日のは、お母さんおいしくできた自信作なんだよ。」っていうのでいいんです。 毎日少しずつ、長期的に小さな苦手を克服する練習につきあってあげて欲しいと思います。 熱もないのに保健室へ行きたがる生徒・・・自分に甘い気持ちに負けてしまうという精神的な幼さ、そして偏った食生活によるスタミナ不足。 中学受験という厳しい戦いには不利としか言えません。 明らかに体調が悪そうなのに、「先生、この科目を休むわけにはいかへんねん!」「先生、このページやるまで眠れへんわ。もうちょっとやらせて。お願い!」と自分を鍛えることに前向きな生徒・・・毎日の食事の時間が子供の考え方や精神年齢を少しずつ成長させるきっかけになると思います。 ****** (以下、加筆しました。) 関西ローカルの番組でやっていたのがなかなかおもしろかったので 少し紹介したいと思います。 天下統一を目指したおなじみの三武将。 まつわる書物の食事に注目すると面白いことがわかったというもの。 まずは、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」の織田信長。 彼は、肉体労働で汗をかく兵たちに、塩分をしっかり摂るよう指導していた。 戦国の世では塩は貴重だったのはわかりますが、 多くの塩を配れるというのは一つのステータスでもあったのかもしれませんね。 そして、自らもとにかく塩辛い食べ物が大好きだった。 塩まみれの鶏肉を焼いたもの、八丁味噌の焼き味噌が主な副菜として食べていた。 再現されたおかずを番組でタレントが試食していましたが、 箸の先にほんの少~し乗せた味噌で、「ご飯三杯はいける」と言う程の塩辛さ。 野菜のおかずはあまり見られず。 塩分過多だから、常にイライラしていた。 「信長 食事」で検索すると「高血圧」と含まれるものがたくさんヒットしました。 短気であったのは生まれ持った性格というところだけではないねとコメントされていました。 次は「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」の豊臣秀吉。 彼は、塩おにぎりを兵に食べさせた。 塩と米をおにぎりにして、移動しながらも最低限必要なエネルギーを摂取できるように。 食事の仕方も作戦の一部だった。 また、自分も塩分濃度の高い粥、ごぼうなどの根菜を中心とした野菜の味噌汁を好んで食べた。 信長よりも栄養バランスは良さそうです。 ただ、百姓育ちであったため、育ち盛りの時期に十分な栄養をとれていないこともあって 基礎体力という点ではあまり恵まれていなかったようです。 そして、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の徳川家康。 家康は、秀吉が弱るのを待つ。「長生き作戦」に出た家康。 そのチャンスのときに自分が元気であるためにとにかく健康には気をつかったと。 それで、白米ではなく麦飯を主食としていた。 これにはびっくりしました。 当時、その地位にいながら麦飯を食べるというのはすごく珍しいことですよね。 また、蕪やごぼうなど野菜を中心とした薄味の味噌汁、焼き魚など。 かなり食事には気をつかっていたようです。 『家康は75歳まで生きた。 何故かといえば、それは健康にとても気を使っていたからである。 もともと凝り性だった家康は食事のつりあい、消化のよさなどを考えて 台所に献立を通達していたと言われている。 その食事は質素で、戦国武将として戦場にいた頃の食生活を崩さなかった。 死因となったともいわれた鯛の天ぷらは、生涯の最初で最後の贅沢であった。 また生薬にも精通し、その知識は専門家が舌を巻くほどのもので一説には 自分で調合していたとも、孫の家光の大病を治したとも言われるほどである。』 ( フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用) 塩分控えめ、栄養バランスを考えて食事から健康を考えた家康の天下統一。 なかなか興味深いものがありますね。 → ![]() ※このブログを応援してくださる方は、こちらをクリックしてくださいますようお願いします。 1日1クリックカウントされます。今後の更新がんばります。 →つづきを読む。 →TOP(記事一覧)にもどる。 |