不合格という結果について□ 不合格という結果について私が過去に見てきた生徒たちの中にも不合格という結果を経験した子たちがいます。 私自身も高校受験のときに、本命校の受験の前に不合格で落ち込み、志望校変更するかどうかかなり悩みました。 だいたいは、どの子にも不合格の確率は全員0ではないということで入試が近づいてきたときに、 また、現実に不合格という結果を見て落ち込んでいる生徒に声をかけてきましたが、 そのとき、そのときでは、「気休め」でしかないかもしれません。 ただ、明日は今日よりも少し立ち直っていて欲しいと思って話をしてきました。 来年の今ごろ、周りの人達がどこに入学したかは覚えていても、 だれがどこに落ちたかなんて全部覚えている人なんていない。 だから、だれかを想像して、「かっこ悪い」とか「はずかしい」とか思う必要などないよ。 ここまでがんばってきた人だけが入試という舞台に立てる。それだけでも本当はすごいこと。 オリンピックに出た。でも残念ながらメダルは取れなかった。誰も責めないよね。 人生はまだまだ長い。 いつに自分の精一杯にふさわしい結果がとどくかはわからない。 今じゃなくて、大学受験のときにつながってくるのかも知れないし、 今合格したから全てがHAPPYじゃないし。 合格してもだめだったとしても、常に、「自分を磨き続ける」ということが できたら、それはその人自身が輝いていること。 自分に反省するところがあれば、して、また次の目標に向かってがんばれるように先生も応援するね。 何度でも言うよ。 もしも、不合格でも、君らの価値が下がったわけじゃないから。 君らががんばってきたんだってこと、ちゃんとおうちの人や先生達は知ってる。 まだ、がんばり続けられる子だってことも知ってる。 実際に落ち込んでいる生徒や保護者の方と話をすると、やっぱり納得いかない自分もいて、悔しい気持ちでいっぱいになり、泣かずに話をするのはなかなか難しいことでした。 ですが、「不合格」も、中学受験をすると決めてここまでがんばってきた子にしか得られない経験です。 必ず、心の成長にはなにかしら作用するように昇華できるはずです。 不合格と言っても、その子の今まで全てを否定するものでは決してないことをしっかり理解させてあげたい。 昨日の自分と今日(不合格になった)自分と、何も変わらない。 未来の学校生活が楽しいとか充実しているとかそういうことはこれからの自分次第だということ。 励まして、ぺしゃんこにならないようにもしてあげたい。 でも、少しだけ思うのは、 この不合格という結果で子ども達が今まで生きてきた中では最上級であろうこの悔しさ、つらさとも向き合うということも大切だと思います。 豊かな国で、これという苦労も知らずに成長することも可能になっています。ですが、ストレスに弱いと様々な問題もある非常に住みにくい社会でもあります。 思い通りにいかないこと、壁というもの、不運や不幸、 それらを乗り越えた人がとても魅力的であることを私達は知っています。 大学生や大人になって、人と話をするとき、過去の失敗ってそれほど悪くうつりませんよね。むしろ、自慢話よりずっと人との距離を縮めます。 失敗や壁とぶつかった経験が人を成長させると大人ならわかりますから。 波乱万丈な人生を望むかというと難しいですが、そういうことを 乗り越えた人にしか見えない価値であったり、幸せであったり、視野があると思います。 それらを得るチャンスは、うまくいきっぱなしの人生では手にできないのではないかと。 悔しくて悔しくてたまらない・・・ それを意図して実感させることってなかなかできない。そういう意味ではとても貴重な経験をすることができた。 「かわいい子には旅をさせよ」の「旅」となってくれるかもしれません。 何年必要かはわかりませんが、必ず、苦い経験を昇華して 笑い話になり、自分の人生の幅を広げたと思えるようになると信じたいと思います。 →過去の記事で合否について触れたもの→■FREE PAGE「合格一つは必ず」 ※このブログを応援してくださる方は、こちらをクリックしてくださいますようお願いします。 1日1クリックカウントされます。 <(_ _)>今後の更新がんばります。→ →TOP(FREE PAGE 記事一覧)にもどる。 |