カテゴリ:考え事
やはり避けて通れない 8月6日。
私が小学生の頃は、毎年平和登校日という名前で、前項で戦争関係の映画を見て、 その後教室で資料などを使って平和・戦争ということを子どもなりに考える時間だった。 「はだしのゲン」を見た日は、夜中残酷なシーンを夢に見てうなされた。 もちろん現実に経験した人とは比べ物にはならないけれども、 ある種のトラフマと呼んでもいいのではないかというぐらいのショックなことだった。 でも、避けてはいけない問題なんだということもしっかりと刻まれていた。 今は、「残酷だから・・・」「ショックを受けさせたくない」といって 戦争についての学習を(同じ理由で差別についてなど人権的な内容についても) 避けるよう要望する保護者も多いらしい。 私達が中学生のときは、修学旅行で長崎を訪れて、スケジュールの中にはもちろん 平和祈念公園が入っていたけれども、 今はディズニーランドなどテーマパークがメインの ところも多いらしい。それも時代の流れという問題なんだろうか。 目を背けたくなるような苦しみや悲しみの歴史、あえて大人になる前に一度であっておく 必要があるのではないかと思う。 確かに残酷な内容のものも多くあるし、ショック。 でも、現実に 大勢の子どもが、何の罪もない人々が、家族に別れを告げることすら許されず、 人間としてあまりにもひどい殺され方で、当然あると思っていた明日を奪われていった。 安全が確保された平和な国で、戦争の話を知るということは、 現実に戦争を体験したりテロや事件にまきこまれることに比べたら「ショック」なんて言ってられないと思う。 今の子ども達は、テレビアニメやゲームなどで、悲しみの伴わない死に触れすぎているように思う。いつの間にか、安易というか、死に対するイメージが軽いものになっているようには思う。 一概にそれが少年犯罪を助長しているとは言えないが、死というものの悲しみの波紋・終わらない苦しみ、過去に現実に人間の手で戦争という選択がなされ世界中でたくさんの人が殺されたということを、刷り込んでいくことって無意味ではないと思う。 東京大空襲、原爆などの惨劇を実感するのは絶対に不可能だけど、語り継いでいかなくちゃいけないし、 テロとかまだ世界各地で解決していない紛争について考えるきっかけは、大人が与えていかなくちゃいけないことだと思う。 「よそごと」ではないと考える力、今の子ども達が大きくなったら今よりももっと必要だと思う。 私は高校生の頃、「地人会」主催の、「この子達の夏・1945・ヒロシマ ナガサキ」http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~CJK/konoko/konoko_fs.htmに地元スタッフとして参加したことがあります。 これは、映像的にショッキングなものはなく、朗読が中心の舞台で、とても静かに日記や短歌が読まれます。学校へ向かう子どもを見送った母親の日記が私はすごく印象に残っています。 ありふれたお母さんの日記。8/6で終わってしまう日記。 生活の中の言葉で綴られていて、静かに静かに・・・だからこそ深い悲しみが伝わってきます。 「戦争を語り継ぐ60年目の証言」 http://www.geocities.jp/shougen60/ 他にも、検索するとたくさんでてきます。 → ※このブログを応援してくださる方は、ぜひこちらをクリックしてくださいますようお願いします! 今後の更新がんばりますのでぜひお願いします。* →TOP(FREE PAGE 記事一覧)にもどる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月07日 02時04分50秒
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