テーマ:小学生ママの日記(28824)
カテゴリ:考え事
先日、いじめを苦の自殺という悲しいニュースがありましたが、
こういう事件があると必ず言われるのが、「親は何をしてたんだ!」というようなこと。 私も親として、わが子がいじめられていたらなにかしらのSOSのサインをキャッチして 出来る限りのことをしてやりたいと本気で思いますが・・・ いじめられた側の子どもの立場にたてば、SOSを何が何でも発信しない子もいるのではないか? と思います。 例えば、思春期の淡い恋のいきさつを全て親に話をできる家庭はどのぐらいあるのでしょう? 友達の仲間うちで言った陰口を夕食時にわざわざもう一度思い出して、 親に報告する子はどのぐらいいるんでしょう? わが子が「いじめている側」であるときに気がつくことができる親はどのぐらいいるのでしょうか? SOSが何かしらあったはず!どうして気づかなかったの?と外から言うことは簡単ですが、 それに気がつくのはそう簡単なことではないような気がします。 何気ない生活の中で気がつく程のあからさまなサインはそうそうないと思うんです。 いじめが陰湿であればあるほど、「自分がいじめられていることを知らない人」は救いになるのではないでしょうか。 もちろん、親にSOSを出せる子もいると思います。 隠しようのない傷や表情やそぶりに表れることもあるでしょう。 ですが、家に帰って、普通に接する家族こそ最後まで守りたいものだと思う子もいると思います。 必死で必死で隠そうとするというのも自然なことだと思います。 「いじめた側が悪い」とかは、外野の言葉であって、その渦中にいる子からしたら 「絶対的に徹底的に自分が弱者」という図に苦しんでいて、誰がそんなことを自分から人に知らしめたいと思うでしょう。 学校で自分の存在がわからなくなって、そのうえ家でも「今日は何かされた?大丈夫?」なんていじめられっ子扱いされることは、最後の最後の自分の居場所すら失うような覚悟が必要と感じる子もいるのではないでしょうか。 自分がいじめられっこであることを忘れる時間が、その子にとっては最後まで守りたい時間であるのかもしれない。唯一の救いである。子どもなりのプライドがそういう形に表れるのでは?と、自分の思春期の頃に想定するとそんなことを思います。 いくらいじめられていることを本人が必死で隠していてもほころびは出てくる・・・のでしょうか?小学生や中学生は、そんなに単純なものじゃないと思う。 友達関係や一生懸命な幼い恋愛、親には絶対知られたくないと思う子も多いと思います。 親も学校にいて実際その時間を共有すれば気がつくのは当然だと思いますが、 いじめっ子のいない安全なはずの家で、絶対的に味方である親の前でまで「いじめられっ子モード」でいる子の方が少ないと思います。精一杯自分を取り戻そうとむしろがんばっちゃうかと。 それは親からすれば、「一言いってくれればよかったのに・・・」と思うんですけど、 リストラされたことを言えずにスーツででていく中年男性の気持ちがわかるように、 別の場所での苦しい姿を家にいながら察知するのはそう簡単ではないのではないかなと。 大人だって会社での仕事ぶりと家庭での様子は直接結びつかない人の方がむしろ多いのではないでしょうか? 「親なら気づいて当然。」という一方で「絶対に親にはそんなそぶりを見せない」という子もいると思うし、「親なら気づいて当然」+「うちの子に限ってまさか」という姿勢では、必死に隠す子のついうかつにも出してしまったため息や、我慢しきれずに現れる体調の変化に敏感に反応することができるか・・・と考えたら、私自身、自信がありません。 私が中学生の頃、一度母がいじめで亡くなった子のニュースを見ながら 私に 「どうしてもツラくなったら逃げるのもありよ!自分をいちばん大事に考えて。 転校でもなんでも本当につらいことから逃げるのは悪いことじゃない。 途中でちがう道を行っても、最後に行きたい道につながればいいんだし。」 というようなことを言ったを思い出しました。 特にいじめられていたわけではありませんが、「学校はどんなことがあっても絶対に行くもの」と思い込んでいましたからそれを聞いて少しほっとしたのを覚えています。 →つづきを読む お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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