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カテゴリ:作文・文章能力・表現力
先日、中学受験小6の授業で、
美しいアクアリウム / 「美しい」アクアリウム の違いについて説明しました。「 」は、会話や思いの吹き出しの役割が主ですが、論説文や随筆文の中では、時に、『世間的にはそういうことになっているが、筆者としてはそう納得していない』ということを示すこともあります。というお話です。 文章では、 筆者は、水草と数少ない魚とが酸素と二酸化炭素のバランスでお互いに協力できている状態を「美しいアクアリウム」と述べていて、見た目だけにこだわって人工的に酸素を送り込むアクアリウムを「『美しい』アクアリウム」と述べていました。それは別の段落では「おり」ともたとえられています。言葉自体は良い印象を持つ言葉でも、それに「 」がつくことで批判の気持ちが加わります。 カタカナで表記されるのも似た用法がありますね。 「ごめんなさい。」と「ゴメンナサイ。」とニュアンスが変わりますよね。 読書経験をしているとこのへんも自然に身についている生徒さんが多いですね。 やはり「文字」というツールならではの効果ですからその経験値の差が出ますね。 先日、重松清さんの「希望の地図~3.11から始まる物語~」を読みました。 丁寧な取材を元に記者が、中学生の男子に語りかけるという形をとっています。 震災後の人々の生活の中にある現実を取材してく中で、希望って何だろう、 読者は中学生の男子といっしょに考えます。 一節を引用したいと思います。 ~引用ここから~ 原発事故によって苦しんでいるのは、「世界地図の中にあるフクシマ」でもなければ、「歴史年表の中にあるフクシマ」でもない。日本国の、東北地方の、福島県の、双葉郡双葉街と大熊街にまたがる福島第一原子力発電所で事故が起きて、いまも避難生活を送る人々がいて、立ち入りを制限された地域があり、いま福島県全体が風評被害に苦しんでいる。その苦しみを少しでもリアルに想像して、少しでも具体的に手助けできる道を探るには、「フクシマ」をもう一度「福島」に戻すしかないんじゃないだろうか。 ~~引用ここまで~ 重松清「希望の地図~3.11から始まる物語~第四章より」 「フクシマ」から「福島」に戻す。 ここにこめられた意味をしっかりと理解したいです。 大学生の講座でもこの件について触れてみようと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年10月30日 20時14分06秒
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