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Sep 2, 2019
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カテゴリ:カテゴリ未分類

9月2日
通称
くにの日という事で、私の日となっています。

今年は令和元年。
そして、40歳。
前厄。

色々なスタートとなりそうです。

2000年。
千葉県千葉市にあったセントラルプラザ。

通称、『センプラ』の島村楽器でGibsonのレスポールを買いました。





もうそのセンプラはありません。

それから約20年。

ついに念願のGibsonのアコースティックギターを買いました。

念願過ぎて、ドキドキとワクワクが止まりません。


やっぱロゴがカッコいいわぁ。

これから頑張らにゃぁといった所です。








Last updated  Sep 2, 2019 09:38:14 PM


Mar 11, 2019
カテゴリ:日記


東日本大震災から8年。
毎年毎年この日が来ると過去を振り返ります。

なんだいい事書いてんなぁとか、真面目かっ!
と、突っ込みたくなるような日記ではありますが、それはそれで僕らが生きてきた証です。

あの日、テレビをつけると信じられない光景に目に飛び込んできました。

言葉を失いました。

今でも被災されている方もいるし、行方不明の方も沢山おられます。

いくつか言葉を書いてみましたが、どれも嘘や綺麗事になりそうなので、消しました。

チャリティーイベントで募金することもできるし、起きてしまった出来事を忘れないようにすることも、できることです。

僕はやはり、家族を想う事だと思います。

みんなそれぞれの家族を想う事で、優しさが広がっていくのかなぁと。




愛をもって生きたいです。






Last updated  Mar 11, 2019 10:01:29 PM
Jan 12, 2019
カテゴリ:村々探訪
芝原又三郎入道性虎という人がいる。

この「又三郎」という名前に惹かれてしまった。
「太郎」=長男
という意味があるように何かしらの意味があるのかもしれないが、現時点では分からない。
「又三郎」と検索すると、宮沢賢治著【風の又三郎】が出てくるように、この「又三郎」という響きに惹かれてしまったのだ。

さて、この芝原又三郎とは誰なのか?
ざっくり言うと、吉野南北朝時代(1300年くらい〜1390年くらい)南朝側について活躍した勤王家である。
阿蘇氏、菊池を助けながら、武家方の小弐、大友氏と戦った人物。

名前の通り、押方の芝原地区、西方に古監寺と言うお寺があり、ここの出身とされている。
性虎とは入道名であり、このお寺の住職も勤めていた。

芝原神社
紀州熊野神社を勧請したとされ建立は不明。
この神社から西へ向かうとお墓がある。

興国2年(1341年)後村上天皇の綸旨と懐良(かねなが)親王の令旨が芝原又三郎の元へ伝わった。
そこには三田井入道明覚の跡地はそのまま柴原又三郎入道性虎に与えるとあった。
三田井氏は足利氏側であったので、没収したのではと考えられていたが、実は三田井明覚の子がこの芝原又三郎であり、三田井氏と芝原氏は同じと思われる。
土地を苗字に変える傾向があったからであろうか。
明覚の跡地とあるので、明覚はもう既に亡くなっており、その土地の地頭職が公式に任命されていなかったのである。

その後三田井口の護りとして、子に留めさせ、自分は五ヶ瀬町桑野内へ移った。

高千穂郷をまもるためにも、攻めるためにも、阿蘇氏と1番連絡が取りやすい三ヶ所と桑野内の中間を選んだものと考えられる。
阿蘇氏の拠点は今の一ノ宮町ではなく上益城郡の矢部浜町であったので、中間にある枡形山、城山の要害の地を選んだのであろう。


古戸野神社
芝原神社(熊野三社権現)をここ古戸野に祭り、更に厚福寺と言う菩提寺まで建立した。
そして、この後部には城山とあり、三田井城48塁の1つ、樺木岳城を築いている。

また、横通地区には居館を構えた。
この辺は小芝原という。



性虎八幡宮



その後ろに五輪塔があり、芝原又三郎入道性虎のお墓とその一族のお墓がある。




芝原又三郎入道性虎の一族が相当長い期間で勢力を振るっていたことは、今もなお残っている五輪塔が屋敷の附近と菩提寺の二ヶ所にあり、郡内のどこよりも多く、大きく立派であることで知ることができる。

なお、芝原又三郎入道性虎は三田井氏の旧名、興梠の姓を名乗っており、三田井氏と興梠氏の関係性が気になるところだ。
このころ、三田井氏の当主は病弱であったので、三田井一族で1番実力のある興梠性虎が三田井氏を率いて活動していたのではないだろうか?
芝原氏という苗字は自然と消滅してしまったが、三田井氏の一族のいたところには興梠という苗字が沢山残っているのはご承知の通りだ。

いつか樺木岳に登ってみようと思う。
西川功著
高千穂太平記より引用













Last updated  Jan 12, 2019 04:38:54 PM
Jan 6, 2019
カテゴリ:カテゴリ未分類
新年明けましておめでとうございます。


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今年の始まりは荒立神社へ。


紅白歌合戦を見終わり、子供達は富くじを引きたいが為に荒立神社へ元旦祭へ。

次女がなんとウズメ様賞という大当たりを当て、幸先の良いスタート。

自分自身はおみくじは吉のスタート。


今年は前厄に入るので、健康面で気をつけないといけないなと感じているところです。



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昨年に引き続き、荒立から王の宮、宮地嶽、くしふる神社からの高千穂神社。


沢山の人で賑わっていました。


昨年は歴史や神社仏閣、史跡の分野に入り込んだ1年でしたので、今年はそれをもう少し勉強をコツコツとやれればと思ってます。


高千穂へ来て、一回り。

長女も年女となりました。


猪🐗

猪突猛進で、突っ走ります!



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今年もどうぞよろしくお願い致します🙇‍♂️


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Last updated  Jan 6, 2019 04:07:02 PM
Dec 31, 2018
カテゴリ:カテゴリ未分類
平成30年もいよいよ終わろうとしています。

今年を振り返ってみますと、高千穂の歴史、神社、仏閣等を調べる入り口となった年が1番印象に残っているところです。


高千穂郷の神社八十八社を巡ろうとゴールデンウィークの時に思い立ち、まわり始めたのをきっかけに、遠野物語で有名な柳田國男さんの本を読んだ時に、高千穂に対する興味がかなり湧いてきました。

高千穂にも民族学、伝説があるのかもしれない。

そして、昔の当たり前の暮らし、同じ家で祖父母から聞いていた昔話のようなものが核家族化によって今では話を改めて聞く事も薄くなってきたのではないかと思い、そんな話を少しでも聞いて、それをまとめることができればと、思い立ったのでした。


運良く文献も手に入れることができ、父の影響もあって歴史を知る面白さに取り憑かれたようです。



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色々な文献を読む毎に、疑問に思うこと、1人で納得してしまうことに出会うミステリアスな高千穂の魅力をより感じているところです。


また、来年は土地土地の方々にも聞きながら、自分なりの知識へと繋げていければと思います。

高千穂山参会発行の《かなたのひと》を早速購入しました。

生活史をまとめるという事で、今の僕の知りたい事がまさにこの本で勉強できそうで、まだ途中ですが、読んでいくのが楽しみです。


そして、音楽について言えば、新しい縁ができ、町外でもライブをする機会ができたのが、自分にとってプラスとなったなぁと思います。

みんなほんと上手で、パフォーマンスもそれぞれでトータル的に魅力的な方々と酒を飲んだり話を聞いたりと、刺激的な1年となりました。


終わりに、来年はもっと面白い事を真剣にやりたいなと思っています。

それを少しでも形作れていければと考えています。


まずは、月と木馬さんへのBGM作品提供。

第2弾が店内で聴ける日も近いかなと思います。

乞うご期待ください。


それでは、皆さま、今年も大変お世話になりました。

ちょこちょこと歴史を語ってしまって申し訳ないですが、来年もお付き合いください。

良いお年をお迎えください。

今年1年ありがとうございました。






Last updated  Dec 31, 2018 04:04:15 PM
Dec 6, 2018
カテゴリ:日記
今日は長女の誕生日。

11歳。


高千穂へ来て11年と1ヶ月。


娘の年齢は高千穂へ来た年数とほぼ一緒。



昨日は学校でこんな本を借りてきてくれた。


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少しずつ背も伸びて、大人になろうとしているのが感じられ、ちょっと寂しさも感じながら、これからどんな道へ進んでいくのだろうかと考える。



もうすぐ、中学生。


来年はいよいよ年女。


生まれてからひと回り。


猪突猛進。


あなたらしく成長してください。

おめでとう!!



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Last updated  Dec 6, 2018 06:19:24 PM
Dec 2, 2018
カテゴリ:村々探訪
【平井俊徳の村々探訪】

神殿地区編

高千穂神社の祭神でもある三毛入野命(ミケイリノミコト)
※ 「三毛沼命」とも書く

神武天皇の兄でもあり、五瀬命、稲飯命、三毛沼命、佐野命(後の神武天皇)、四兄弟の三番目である。


霜宮とされ、霜を司る神とされる鬼八。

鬼八は二上山の麓、乳ヶ窟に住み、祖母岳明神の娘稲穂姫の子、鵜ノ目姫(別名阿佐羅姫)を無理やり妻にしてかくまった。

ある日、三毛入野命が五ヶ瀬川のほとり七つヶ池の辺りで水鏡に映った鵜ノ目姫に出逢い、鬼八に捕らわれているので助けてくださいと訴える。

早速、丹部宗重、若丹部佐田重などを従え、44人の家来と共に乳ヶ窟へ出かけた。

7日攻め、42人は討たれているので、大変激しい戦いだったことが想像できる。

鬼八は二上山から三ヶ所、内の口、諸塚、飯干、椎葉山から米良、八代、阿蘇、豊後、川原から祖母山。それから、上野、窓の瀬から押方へ渡り、一の堀で退治された。

上野の鬼切畑には鬼八を鬼切丸という刀で一太刀切りつけたが太刀は外れその割れ目が太刀の跡とされる岩がある。


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鬼八は池に埋められ、八尺の石をかけ、その上に土をかけ埋めたが、鬼八は蘇るため、三つに切り三ヶ所に分け埋めたとされる。

1つは神殿公民館近くの首塚

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猪掛け祭りの際は神事の後、ここに猪の肉を木に掛けることから猪掛け祭りという。(※猪掛け祭りについてはまた後日)

2つ目は旅館神仙の敷地内にある胴塚


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3つ目は道の駅高千穂の横、淡路城の中腹にある手足塚


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ここまでは高千穂で有名な話、伝説とされている。


高千穂神社付近、神殿(こうどの)地区には鬼八にまつわる地名が多い。

高千穂観光ガイドの高藤氏に案内してもらった。


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このマップをもとに歩いてみた。

鬼八は三つに分けられたとあるが、実は八つに分けられたという説があることが分かった。


なんと神社付近には池の窪という水神様がいくつか祀られている。

鬼八は池に埋められたとあるので、この水神様は何かしらの関係があるのかもしれない。

ベスト電気入り口


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その先の民宿おがたまを越えた角のところ


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そこから、左手に回り、神社までの道の脇


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高千穂神社境内、神楽殿の向い側


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そして、水神ではないが、高千穂神社より高千穂峡のほうへ下るとと右手、吉田鈑金さんの向かい側に鬼八の男根塚ではないかといわれる祠があった。


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神社を取り巻く様にあるこれらは、鬼八の祟りを抑える所謂結界のようなものだったのか!?

それほどまでに、鬼八の祟りを恐れたのか、反対に実は慕われていたのか。

疑問が残る。


また、周辺には鬼八が妻(鵜ノ目姫)に逢いたい願ったとされる妻恋坂や鬼八が傷ついた血を草で拭き取った所を千草町という場所がある。


鬼八とは一体何者なのか?

恐らく地元にいる豪族だったのではないかと考える。

実は鬼八と鵜ノ目姫の関係は本当に夫婦で三毛入野命に奪われた!?という考えもできる。


歴史は勝者が都合良く作る傾向があるために悪者とされたのではと私は考えている。

阿蘇の方では鬼八は金八とも呼ばれており、鬼八とは当て字であると思われる。

早霜を降らせることで農業に影響があるため、鬼八の祟りとして霜宮としてのは後の事ではないだろうか?

朝鮮語では畑のことをハツと訓む。

鬼(き)または金をキリの訛言とみれば「吉」の字に当たるので「キリハツ」は畑を祝福する神という見解をした学者もいる。


また、鬼八と三毛入野命の戦いは稲飯の末裔と言われる漆間氏と豊後境の祖母山にうば岳大明神を祭った大神氏との勢力争いではなかったと捉える学者もいる。

先住の漆間氏を追放し、三田井に十社大明神を祭り、主神を三毛入野命としたと見解している。

さまざまな見解があるとは思うが、どちらにしても、退治されたのではなく、戦いに敗れたというのが正解に近いのかもしれないと私は考える。

災いを抑えるために悪鬼として捉えられやすい鬼八ではあるが、高千穂人にとっては霜を司る神として、大切に思われている事は間違いない。


阿蘇の鬼八伝説との繋がりはまた改めて。


まとめると、私は鬼八が好き。



参考文献

高千穂の猪掛け祭りについて 西川功変
高千穂の故事伝説・民話 高千穂町老人クラブ連合会、社会福祉協議会






Last updated  Dec 2, 2018 01:10:48 PM
Nov 25, 2018
カテゴリ:村々探訪
【平井俊徳の村々探訪】
本組編 第2回


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荒立神社の第2の鳥居を下から見て右側、くしふる神社方面へ行くと神漏岐堂(かむろぎどう)が左手にあります。

宮尾野下という小部落名で、ちょうど二十体王の宮の下らへんになりますが、この辺を無間堂という地ということみたいです。
この辺にはお寺が2つあったとのことです。

1つは多福庵、これは天台寺であり本尊地蔵の庵であるとのことです。

この神漏岐堂と同じなのかは、まだ確認できてないです。

眞名井の北、川上30メートルくらいの所にあるというので、神代川沿いだったのかもしれませんね。


そして、もう一つ、万神源寺(まかげんじ)。

ここは禅寺で本尊あみだとあります。

この本尊は大変立派で興梠家の仏間に安置していると聞きます。

この万神源寺は二十体王の宮の裏仏と言われ、眞名井通りの左上の高地にあったそうですが、尾ノ上堂(天眞名井の西の岡)へ移したが、道路拡張の為、少し上に移し変えて祀っていました。藤岡山中腹になります。


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高千穂小玄関から見て左手の山手にあります。

二十体王の宮の別当ということです。


二十体王の宮とは天孫降臨の際に従ってお降りになった内の二十体の神さまを祀るお宮であったとのことですが、どこにあるか分からない状態だったそうですが、古文書に添って調べた所、今のところに石が見つかったとのことで、宮があったと思われますが、天孫降臨は大陸からの移住説もあり、王とはワンと読む、ワンさんという人が住まわした所ではないかと荒立神社の宮司さんは話してくれました。まぁ、豪族がいたんでしょうかね。


どちらにしても、昔から住んでいたものがいたでしょうから、大切にしなくてはいけませんねということでした。



藤岡山から一本木交差点側には高千穂高校の学生寮がありますが、この付近の今は人家になりましたが、ここは佐久良森と言われ、ヒコホホデミノミコトがお生まれになったと言われる所で、ニニギがコノハナサクヤヒメに一夜で妊娠するとは、俺の子じゃないだろうと言って、コノハナサクヤヒメが戸無し八尋殿にて、火をつけ、天つ神の子なら産むことができましょうと言って、無事に出産できたと言われている場所になります。


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家付近になります。

そして、宮尾野橋、神代川沿いに佐久良谷という水神様があります。


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ここで、ヒコホホデミノミコトが産まれた際、お洗いになった産湯であると言われています。


ということで、最近知った本組の話でした。

参考文献

高千穂村々探訪

神々の里本組 たかまがはら







Last updated  Nov 26, 2018 12:34:32 PM
Nov 20, 2018
カテゴリ:村々探訪
私の住む本組という場所の紹介を少しでしていきたいと思います。

天孫降臨の際、この地には良い水がなかった。

そこで、ニニギノミコトはアマノムラクモノミコトに高天原へ戻り、水の種をもらってきてくれ〜と頼んだ。

アマノムラクモノミコトは高天原でアマテラスオオミカミより3つの水の種をもらって高千穂へ帰ってきた。


これを藤岡山の麓、神代川のほとりに置かれた。


ここを天眞名井という。

神話に興味がある方は何となくでも聞いたことのある話だと思います。

この神代川は以前は水も今以上に沸き、子供達は川で水遊び。


高千穂小学校の校歌の頭に『神代川の清き水』とあり、作った当時の面影を感じられます。


しかしながら、生活排水など、浄化はできておらず、汚い川と成り果てていたそうです。

その後は浄化槽や下水道などの普及により水質は以前よりは改善され、まて改修しコンクリートで整備されました。



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県の事業で昔の川の風景を、そこに暮らす住民と共に戻しましょうというプロジェクト、かわまちつくりが今実施されました。

この写真は整備前、僕が高千穂へ来てから変わらない神代川の景色です。



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今現在はこんなにきれいになりました。


小魚や蟹など、生物も確認できるようになったそうです。


詳しくはこちらをご覧ください

https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/shityoson/nishiusuki_shityo/jindaigawa/


さて、この天眞名井の川向こう側には夜泣き石という岩が置かれていました。


夜泣き石とは、災いのあるときに、この石がうごめいて皆に知らせたという伝説やコノハナサクヤヒメがあまりにも難産でこの石にしがみついて産んだこともあるそうです(火をつけた建物の中で産んだという伝説もあるのだが…)

そして、赤子の夜泣きがひどい時はこの石に触ると夜泣きがおさまるという伝説もあり、なんと我が子も夜泣きの時はこの石にお願いしたものでした。



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以前はこんな感じ。


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現在は場所を変えていました。

正直、久しぶりに見たら、川の側にあるのですが、なんか神々しくないというか、ただの岩のような感じであまり凄みを感じません。


さてさて、話は戻り、天眞名井には昔妙見社が神代川に建っていたそうです、今はその柱の跡が2つ、今現在は埋められています。


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この写真でも確認できるかなと思います。


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神代川の上流の方です。


農場高校入り口辺りから下に下る道があり、川沿いを歩くことができます。

いくつか水神様もあり、お祭りの時は一つ一つしめ縄を張っていくそうです。

来年には参加したいと思っています。

水神様の事はまた後日にでも。


この辺りはかわまちつくり対象の場所ではありません。

対象は荒立神社の下の鳥居から道路から見て右手側天眞名井周辺までです。


神代川については以上です。

もう少し長くなりそうなので、この辺で。

また、次回。


参考文献

神々の里本組 たかまがはら

本組公民館発行







Last updated  Nov 20, 2018 10:29:16 PM
Oct 23, 2018
カテゴリ:カテゴリ未分類

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日之影町で開催されたおかげSUNマルシェも2日間、無事に終わりました。


今回初めて妻と2人蜂蜜販売もしたので、マルシェ気分をより味わいながら、ライブも2日間、楽しくやらさせてもらいました!!



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日之影ニギヤカシバンドと共に初めてのベーシストも経験し、2日目にはギターだけど、手持ち無沙汰でタンバリンを持っちゃうみたいな面白い写真です。



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娘はダンスで参加して、友達とハーバリウムを作ってました!

なかなか綺麗ですね。

天候にも恵まれ、充実した2日間となりました!!

美味しい料理と音楽と、スタッフの皆様ありがとうございました😊


さて、本日は高千穂へ移住した日です。

おかげ様で、11年となりました!!

どうぞ、これからもよろしくお願いします!


岩戸永ノ内、布城にある観音堂。

昔はかなり大きな御堂だったそうだが、今は小さくなっている。


観音様一体が何者かに盗まれたらしい!?

いかんなぁ。


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Last updated  Oct 23, 2018 09:05:46 PM

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