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村々探訪

Jan 12, 2019
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カテゴリ:村々探訪
芝原又三郎入道性虎という人がいる。

この「又三郎」という名前に惹かれてしまった。
「太郎」=長男
という意味があるように何かしらの意味があるのかもしれないが、現時点では分からない。
「又三郎」と検索すると、宮沢賢治著【風の又三郎】が出てくるように、この「又三郎」という響きに惹かれてしまったのだ。

さて、この芝原又三郎とは誰なのか?
ざっくり言うと、吉野南北朝時代(1300年くらい〜1390年くらい)南朝側について活躍した勤王家である。
阿蘇氏、菊池を助けながら、武家方の小弐、大友氏と戦った人物。

名前の通り、押方の芝原地区、西方に古監寺と言うお寺があり、ここの出身とされている。
性虎とは入道名であり、このお寺の住職も勤めていた。

芝原神社
紀州熊野神社を勧請したとされ建立は不明。
この神社から西へ向かうとお墓がある。

興国2年(1341年)後村上天皇の綸旨と懐良(かねなが)親王の令旨が芝原又三郎の元へ伝わった。
そこには三田井入道明覚の跡地はそのまま柴原又三郎入道性虎に与えるとあった。
三田井氏は足利氏側であったので、没収したのではと考えられていたが、実は三田井明覚の子がこの芝原又三郎であり、三田井氏と芝原氏は同じと思われる。
土地を苗字に変える傾向があったからであろうか。
明覚の跡地とあるので、明覚はもう既に亡くなっており、その土地の地頭職が公式に任命されていなかったのである。

その後三田井口の護りとして、子に留めさせ、自分は五ヶ瀬町桑野内へ移った。

高千穂郷をまもるためにも、攻めるためにも、阿蘇氏と1番連絡が取りやすい三ヶ所と桑野内の中間を選んだものと考えられる。
阿蘇氏の拠点は今の一ノ宮町ではなく上益城郡の矢部浜町であったので、中間にある枡形山、城山の要害の地を選んだのであろう。


古戸野神社
芝原神社(熊野三社権現)をここ古戸野に祭り、更に厚福寺と言う菩提寺まで建立した。
そして、この後部には城山とあり、三田井城48塁の1つ、樺木岳城を築いている。

また、横通地区には居館を構えた。
この辺は小芝原という。



性虎八幡宮



その後ろに五輪塔があり、芝原又三郎入道性虎のお墓とその一族のお墓がある。




芝原又三郎入道性虎の一族が相当長い期間で勢力を振るっていたことは、今もなお残っている五輪塔が屋敷の附近と菩提寺の二ヶ所にあり、郡内のどこよりも多く、大きく立派であることで知ることができる。

なお、芝原又三郎入道性虎は三田井氏の旧名、興梠の姓を名乗っており、三田井氏と興梠氏の関係性が気になるところだ。
このころ、三田井氏の当主は病弱であったので、三田井一族で1番実力のある興梠性虎が三田井氏を率いて活動していたのではないだろうか?
芝原氏という苗字は自然と消滅してしまったが、三田井氏の一族のいたところには興梠という苗字が沢山残っているのはご承知の通りだ。

いつか樺木岳に登ってみようと思う。
西川功著
高千穂太平記より引用













Last updated  Jan 12, 2019 04:38:54 PM


Dec 2, 2018
カテゴリ:村々探訪
【平井俊徳の村々探訪】

神殿地区編

高千穂神社の祭神でもある三毛入野命(ミケイリノミコト)
※ 「三毛沼命」とも書く

神武天皇の兄でもあり、五瀬命、稲飯命、三毛沼命、佐野命(後の神武天皇)、四兄弟の三番目である。


霜宮とされ、霜を司る神とされる鬼八。

鬼八は二上山の麓、乳ヶ窟に住み、祖母岳明神の娘稲穂姫の子、鵜ノ目姫(別名阿佐羅姫)を無理やり妻にしてかくまった。

ある日、三毛入野命が五ヶ瀬川のほとり七つヶ池の辺りで水鏡に映った鵜ノ目姫に出逢い、鬼八に捕らわれているので助けてくださいと訴える。

早速、丹部宗重、若丹部佐田重などを従え、44人の家来と共に乳ヶ窟へ出かけた。

7日攻め、42人は討たれているので、大変激しい戦いだったことが想像できる。

鬼八は二上山から三ヶ所、内の口、諸塚、飯干、椎葉山から米良、八代、阿蘇、豊後、川原から祖母山。それから、上野、窓の瀬から押方へ渡り、一の堀で退治された。

上野の鬼切畑には鬼八を鬼切丸という刀で一太刀切りつけたが太刀は外れその割れ目が太刀の跡とされる岩がある。


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鬼八は池に埋められ、八尺の石をかけ、その上に土をかけ埋めたが、鬼八は蘇るため、三つに切り三ヶ所に分け埋めたとされる。

1つは神殿公民館近くの首塚

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猪掛け祭りの際は神事の後、ここに猪の肉を木に掛けることから猪掛け祭りという。(※猪掛け祭りについてはまた後日)

2つ目は旅館神仙の敷地内にある胴塚


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3つ目は道の駅高千穂の横、淡路城の中腹にある手足塚


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ここまでは高千穂で有名な話、伝説とされている。


高千穂神社付近、神殿(こうどの)地区には鬼八にまつわる地名が多い。

高千穂観光ガイドの高藤氏に案内してもらった。


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このマップをもとに歩いてみた。

鬼八は三つに分けられたとあるが、実は八つに分けられたという説があることが分かった。


なんと神社付近には池の窪という水神様がいくつか祀られている。

鬼八は池に埋められたとあるので、この水神様は何かしらの関係があるのかもしれない。

ベスト電気入り口


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その先の民宿おがたまを越えた角のところ


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そこから、左手に回り、神社までの道の脇


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高千穂神社境内、神楽殿の向い側


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そして、水神ではないが、高千穂神社より高千穂峡のほうへ下るとと右手、吉田鈑金さんの向かい側に鬼八の男根塚ではないかといわれる祠があった。


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神社を取り巻く様にあるこれらは、鬼八の祟りを抑える所謂結界のようなものだったのか!?

それほどまでに、鬼八の祟りを恐れたのか、反対に実は慕われていたのか。

疑問が残る。


また、周辺には鬼八が妻(鵜ノ目姫)に逢いたい願ったとされる妻恋坂や鬼八が傷ついた血を草で拭き取った所を千草町という場所がある。


鬼八とは一体何者なのか?

恐らく地元にいる豪族だったのではないかと考える。

実は鬼八と鵜ノ目姫の関係は本当に夫婦で三毛入野命に奪われた!?という考えもできる。


歴史は勝者が都合良く作る傾向があるために悪者とされたのではと私は考えている。

阿蘇の方では鬼八は金八とも呼ばれており、鬼八とは当て字であると思われる。

早霜を降らせることで農業に影響があるため、鬼八の祟りとして霜宮としてのは後の事ではないだろうか?

朝鮮語では畑のことをハツと訓む。

鬼(き)または金をキリの訛言とみれば「吉」の字に当たるので「キリハツ」は畑を祝福する神という見解をした学者もいる。


また、鬼八と三毛入野命の戦いは稲飯の末裔と言われる漆間氏と豊後境の祖母山にうば岳大明神を祭った大神氏との勢力争いではなかったと捉える学者もいる。

先住の漆間氏を追放し、三田井に十社大明神を祭り、主神を三毛入野命としたと見解している。

さまざまな見解があるとは思うが、どちらにしても、退治されたのではなく、戦いに敗れたというのが正解に近いのかもしれないと私は考える。

災いを抑えるために悪鬼として捉えられやすい鬼八ではあるが、高千穂人にとっては霜を司る神として、大切に思われている事は間違いない。


阿蘇の鬼八伝説との繋がりはまた改めて。


まとめると、私は鬼八が好き。



参考文献

高千穂の猪掛け祭りについて 西川功変
高千穂の故事伝説・民話 高千穂町老人クラブ連合会、社会福祉協議会






Last updated  Dec 2, 2018 01:10:48 PM
Nov 25, 2018
カテゴリ:村々探訪
【平井俊徳の村々探訪】
本組編 第2回


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荒立神社の第2の鳥居を下から見て右側、くしふる神社方面へ行くと神漏岐堂(かむろぎどう)が左手にあります。

宮尾野下という小部落名で、ちょうど二十体王の宮の下らへんになりますが、この辺を無間堂という地ということみたいです。
この辺にはお寺が2つあったとのことです。

1つは多福庵、これは天台寺であり本尊地蔵の庵であるとのことです。

この神漏岐堂と同じなのかは、まだ確認できてないです。

眞名井の北、川上30メートルくらいの所にあるというので、神代川沿いだったのかもしれませんね。


そして、もう一つ、万神源寺(まかげんじ)。

ここは禅寺で本尊あみだとあります。

この本尊は大変立派で興梠家の仏間に安置していると聞きます。

この万神源寺は二十体王の宮の裏仏と言われ、眞名井通りの左上の高地にあったそうですが、尾ノ上堂(天眞名井の西の岡)へ移したが、道路拡張の為、少し上に移し変えて祀っていました。藤岡山中腹になります。


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高千穂小玄関から見て左手の山手にあります。

二十体王の宮の別当ということです。


二十体王の宮とは天孫降臨の際に従ってお降りになった内の二十体の神さまを祀るお宮であったとのことですが、どこにあるか分からない状態だったそうですが、古文書に添って調べた所、今のところに石が見つかったとのことで、宮があったと思われますが、天孫降臨は大陸からの移住説もあり、王とはワンと読む、ワンさんという人が住まわした所ではないかと荒立神社の宮司さんは話してくれました。まぁ、豪族がいたんでしょうかね。


どちらにしても、昔から住んでいたものがいたでしょうから、大切にしなくてはいけませんねということでした。



藤岡山から一本木交差点側には高千穂高校の学生寮がありますが、この付近の今は人家になりましたが、ここは佐久良森と言われ、ヒコホホデミノミコトがお生まれになったと言われる所で、ニニギがコノハナサクヤヒメに一夜で妊娠するとは、俺の子じゃないだろうと言って、コノハナサクヤヒメが戸無し八尋殿にて、火をつけ、天つ神の子なら産むことができましょうと言って、無事に出産できたと言われている場所になります。


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家付近になります。

そして、宮尾野橋、神代川沿いに佐久良谷という水神様があります。


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ここで、ヒコホホデミノミコトが産まれた際、お洗いになった産湯であると言われています。


ということで、最近知った本組の話でした。

参考文献

高千穂村々探訪

神々の里本組 たかまがはら







Last updated  Nov 26, 2018 12:34:32 PM
Nov 20, 2018
カテゴリ:村々探訪
私の住む本組という場所の紹介を少しでしていきたいと思います。

天孫降臨の際、この地には良い水がなかった。

そこで、ニニギノミコトはアマノムラクモノミコトに高天原へ戻り、水の種をもらってきてくれ〜と頼んだ。

アマノムラクモノミコトは高天原でアマテラスオオミカミより3つの水の種をもらって高千穂へ帰ってきた。


これを藤岡山の麓、神代川のほとりに置かれた。


ここを天眞名井という。

神話に興味がある方は何となくでも聞いたことのある話だと思います。

この神代川は以前は水も今以上に沸き、子供達は川で水遊び。


高千穂小学校の校歌の頭に『神代川の清き水』とあり、作った当時の面影を感じられます。


しかしながら、生活排水など、浄化はできておらず、汚い川と成り果てていたそうです。

その後は浄化槽や下水道などの普及により水質は以前よりは改善され、まて改修しコンクリートで整備されました。



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県の事業で昔の川の風景を、そこに暮らす住民と共に戻しましょうというプロジェクト、かわまちつくりが今実施されました。

この写真は整備前、僕が高千穂へ来てから変わらない神代川の景色です。



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今現在はこんなにきれいになりました。


小魚や蟹など、生物も確認できるようになったそうです。


詳しくはこちらをご覧ください

https://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/shityoson/nishiusuki_shityo/jindaigawa/


さて、この天眞名井の川向こう側には夜泣き石という岩が置かれていました。


夜泣き石とは、災いのあるときに、この石がうごめいて皆に知らせたという伝説やコノハナサクヤヒメがあまりにも難産でこの石にしがみついて産んだこともあるそうです(火をつけた建物の中で産んだという伝説もあるのだが…)

そして、赤子の夜泣きがひどい時はこの石に触ると夜泣きがおさまるという伝説もあり、なんと我が子も夜泣きの時はこの石にお願いしたものでした。



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以前はこんな感じ。


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現在は場所を変えていました。

正直、久しぶりに見たら、川の側にあるのですが、なんか神々しくないというか、ただの岩のような感じであまり凄みを感じません。


さてさて、話は戻り、天眞名井には昔妙見社が神代川に建っていたそうです、今はその柱の跡が2つ、今現在は埋められています。


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この写真でも確認できるかなと思います。


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神代川の上流の方です。


農場高校入り口辺りから下に下る道があり、川沿いを歩くことができます。

いくつか水神様もあり、お祭りの時は一つ一つしめ縄を張っていくそうです。

来年には参加したいと思っています。

水神様の事はまた後日にでも。


この辺りはかわまちつくり対象の場所ではありません。

対象は荒立神社の下の鳥居から道路から見て右手側天眞名井周辺までです。


神代川については以上です。

もう少し長くなりそうなので、この辺で。

また、次回。


参考文献

神々の里本組 たかまがはら

本組公民館発行







Last updated  Nov 20, 2018 10:29:16 PM
Oct 9, 2018
カテゴリ:村々探訪
昔あったずもな。


上野に荒木野というものすごい強い力士がいたそうな。


身長6尺3寸5分(190.6センチ)
手のひら18センチ
綱引きすると大人35人を相手にしたと言われている。


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神の水という地区にあったお墓は今年の3月に旧上野小学校の体育館付近に移した。


彼は天保7年春場所、当時江戸では相手はいないと言われるほどの熊ヶ嶽という力士を師匠から禁じられていた鉄砲突きで相手を突き飛ばし殺してしまった。

これはただでは済まないと早々に江戸から逃げたのだが、途中原因不明の発狂状態となり、その後は神の水の実家で座敷牢で生涯を終えたという。


どんど晴れ。


所変わってくしふる神社。

昨日はくしふる神社のお祭り。



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子供会では子供神輿で参加。

暑い中みんな頑張りました。

夜は奉納相撲。


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子供達3人参加し、上の子2人は勝利。
下の子は惜しくも負け。

よっぽど悔しかったみたいで、涙を必死に堪えてました。

人間どこかで勝ちたいという気持ちは持っていた方がいいかなと思います。


それが、自分にとってプラスに繋げていければパワーになると思うので。


強くなりたいとか勝ちたいとか。

だから、練習するのかなと。


いい経験だったなと思います。

ということで、相撲にまつわる話でした。







Last updated  Nov 26, 2018 06:54:00 AM
Jun 5, 2018
カテゴリ:村々探訪
先週の日曜日、天気もよかったので、またまた八十八社めぐりをしてきました!

下調べをして、有る場所をリサーチしていたので、今回はスムーズにまわれました。


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まずは御塩井にある、玉垂の瀧。

高千穂峡の手前のところになります。


そのまま、向山へ抜け、稗の上にある、御霊大明神。

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ちょうどカーブのところにひっそりとあり、素通りしてしまいそう。

近くの家のじいちゃんが、「ありがとう」と、言ってくれた。

この方が護っているのだろうか。


そのまま、中山の浅羅女明神。

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ここは高千穂太郎のお墓のあるところで、キャンプ場を越えて、三叉路を右に上がっていったところにあります。


そのまま、椎屋谷神社

道沿いにあるので、見つけやすいです。

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そのあとは向山神社。

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看板があるので、その通りに行くと着くけど、割りと狭い道。


この鳥居を潜ると、熊野古道を歩いているような感覚。

って、行ったことはないんだけど。


山道を通り、長い階段を上ると神社があります。

けっこう歩くので疲れます。


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そして、丸小野にある御陵神社。

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丸小野公民館を越え、人家を左へ。
そのまままっすぐ、公園の方へ行くと道脇にあります。

これで、向山地区は制覇!!


この日はまだ時間もゆとりがあったので、今度は押方へ。

まずは小谷内にある、二上神社。

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ここも、看板があるので、分かりやすい。

ただ、階段が長い!!

一応、横道で上まで車でも行けるんだけど、頑張ってみました。。

最近では宮司さんが、常駐することになったそうです。

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ここは、うちら夫婦を護ってくれていると私は個人的に思ってるところです。


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そのまま、下り、三原尾野方面へ走ると左側に乳ヶ岩屋の看板があります。

そのまま、山道を上ります。

下にしめ縄があるところがありますが、更に上になります。

少し危ないので、そちらを通らず左側の道を遠回りでも行くと行きやすいです。

穴があり、落ちたら出られないような少し怖さも感じました。


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次は嶽宮神社。

国見ヶ丘へ行く途中なので、分かりやすいです。


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鳥居の前には義父の名前が彫ってありました。


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そして、本日の最後は歳宮。

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嶽宮神社の反対側になります。

中に入ると墓地があって、その中を通っていくとあります。


分かりづらかったけど、何となくここかなぁみたいな杜を感じます。


だいぶ、暑かったので、午前中だけにしました。

もうすぐ高千穂も終わります。

ほんとは上野の今は杉林になってるとことかもあるんだけど、なかなか見つけきらんですねぇ。


日之影や諸塚も自然崇拝だったりで、行くまでに大変そうですが、コツコツと見つけていきます!!


最後に今日、日本全土を書き下ろしで放浪しているなべさんという方が来高してるということで、書いていただきました。

名前を書いて、目を見ただけで言葉が浮かんでくるそうです。

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自分の気持ち、心を文書化することは意外と難しいものです。


今までの失敗とかも、知っているかのように書き下ろしてくれるので、感心するばかりですが、今後もがんばれそうです。


ぶれずにやっていこうという気にさせてもらったので、ありがたかったです!!


週末までいるそうなので、興味ある方はぜひ!!






Last updated  Nov 26, 2018 12:35:27 PM
May 1, 2018
カテゴリ:村々探訪
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高千穂郷は奥が深い。



高千穂郷八十八社をめぐる旅が始まった。


まずは五ヶ所から河内、田原、上野、下野を回った。


分かりやすい神社ならすぐに見つかるのだけど、地元の人しか分からないような場所は見つけるのに苦労する。


特に合祀したところは、残っていないこともあり、ほんとに分からないとこは、合祀したとこに参ればいいか!みたいな、自己暗示みたいにしている。

知らない高千穂は多い。


高千穂郷だけあって、五ヶ瀬、日之影、諸塚等もあるもんだから、時間はかかりそうだ。



今回まわったのは、13ヶ所。


中でも、熊野鳴瀧は滝が流れ出て、とても美しい光景だった。


そして、五ヶ所の神命宮

地元の人しか分からない場所だった。


知らないことを知る喜び。


噛み締めていきたいね。



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山本さん、撮影



断崖絶壁!


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Last updated  Nov 26, 2018 12:35:59 PM

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