今年は私にとって印象深い「30周年」が多い
…こないだは「青函トンネル開業30周年」「青函連絡船廃止30周年」を話題にしましたが、この春に私にとって印象深い鉄道の「30周年」として、この4月に西武鉄道の新2000系がデビューから30周年を迎えます。 西武鉄道2000系は1977年デビュー、こちらは去年デビュー40周年を迎えています。この2000系を改良増備したのが新2000系で、1988年4月6日から営業運転に入ったと記録されています。 この新2000系は1980年代後半から1990年代初頭にかけて大量増備されました。この大量増備の目的はふたつあって、ひとつは当時の新宿線の主力で急速に老朽化が進んでいた701系の置き換え、もうひとつはバブル期を迎えて伸びつつあった輸送力増加に対応することにありました。 この新2000系の大量増備は西武鉄道の車両の内容をガラリと変えてしまいます。20メートル3扉車が中心の西武鉄道で、20メートル4扉の「新宿線のラッシュ時各駅停車用」として登場した2000系は、新2000系の大量増備が始まってもしばらくは新宿線だけのものでした。ところが新2000系の増備が進むと新宿線だけではなく池袋線への投入も始まり、新2000系は新宿線だけでなく西武鉄道全体の看板車両にまで育ってしまいました。偶数方中間電動車は東武8000系2M中間電動車の数を追い越して、大手私鉄車両最大両数を誇るまでになりました。 そして新2000系の大量増備は西武鉄道通勤車の車両規格も変えてしまいます。これまで20メートル3扉を基本としていた西武鉄道通勤車は、2000系で他社と同じ20メートル4扉が基本に変わったのです。新2000系の後に製造された地下鉄乗り入れ用の6000系はもちろん、その語の地下鉄乗り入れをしない通勤電車も20メートル4扉で作られることになります。また2000系で4扉を基本に変更したからこそ、6000系が地下鉄乗り入れがない新宿線でも活躍するようになったのです。 30年前、新2000系が登場した時はこの車両がここまで増えるなんて思ってなかったし、池袋線に行くのも想像できなかったですね。そして30年を経て、リニューアルされて活躍を続ける車両もあれば、当時のままに近い姿で活躍する車両もある、そして残念ながら老朽廃車になった仲間も出てきました。 新2000系登場時に思い描いていた「30年後の西武鉄道」と、現在の実際の西武鉄道は少し違いますね。池袋線の複々線化や地下鉄乗り入れが実現しているのは予想通りですが、その池袋線が副都心線(当時も13号線として計画があったのは知っていた)を介して東急東横線に乗り入れて横浜に直結するなんて想像すらしていませんでした。そして新宿線は…あの時の予想では西武新宿から高田馬場に地下急行線が増設されて複々線化が実現しているはずだったんだけどなぁ。でも特急が毎日運行されるなんて予測していなかったです。 なんで今日の日記はこんな話か、といいますと昨日我が家に新たに購入した鉄道模型が届いたからです。 その模型は西武鉄道新2000系前期車…つまり30年前にデビューした新2000系で、「顔」が他の新2000系と少し違うタイプです。私はこれを購入して、本日のお仕事休みを利用して改造をしました。この新2000系初期車は「現在の姿」で再現されているので、当時とは色々と違います。目立つ改造は模型では現在のベンチレータ撤去後の姿で再現されていますが、これを「復元改造」としてベンチレータを載せました。運転台背後の西武鉄道CIマークはマスクをして隠していますが、これは今後キチンと消す方法を考えたいです。 この西武鉄道新2000系前期車が、なんてったって西武鉄道新2000系デビュー30周年に近い時期にグリーンマックスから発売されたのは驚きました。西武鉄道に疎いグリーンマックスですからそこまで考えていないのは確かでしょうが、買う側の西武電車ファンとしてはこの模型を「新2000系30周年記念モデル」と勝手に位置づけたくなってしまいます。 3月も下旬に差し掛かり、お彼岸も過ぎていよいよ本格的な春到来ですね。もうこちらでは一部で櫻が咲き出しています。今年も武蔵関へカメラ片手に花見へ行くか…。