失くした指輪
パワーストーンのアクセサリーが、いつの間にか結構な数になりました。家を出る時はいつも、なんやかんやと身につけますが、不思議と、壊れたとか、いつの間にか落としていたとかって無いんです。でも、指輪を二度、失くしました。シリマナイトの指輪と、フェナカイトの指輪。失くすのにも意味があると言うけど、まさにそんな感じでした。ズボンのポケットから取り出したときでした。確かに注意深く掴んでいたのに、まさか、で落っことして、そのまま。一度は、取り出せないところへ入り込んで、一度は、跳ねながら姿を消して……そんな時って、ちょっとスローモーションになるんですね。指先から離れていくのが、しっかりと見えているんです。始めはゆっくりと、それから、時間を取り戻すかのように速度を上げて、遠ざかっていきました。一度だけ澄んだ音を辺りに響かせて、姿を消しました。二度とも仕事を辞めるときでした。辞める寸前に、仕事場で失くしたんです。私にとって、そこでの仕事は完了したもの。たくさんの思い入れもあってなお、後にするのですが……置いていた私物など全部、持って帰るというときに、落として出てこない指輪は、逆にその場に残すことになります。落ちていく瞬間、指輪はまるで(後は任せて)と言っている様でした。生き物みたいに意識を持って、自ら進んで、後を見守る役を買って出たかのように感じたんです。二度とも、失くした指輪の石は残していくその場所に、本当にぴったりのもので、頭で考えるよりも、ずっと意味深い似合い方でした。驚くほどの意味深さに、失くして惜しいなんて、とても思えません。お別れ。その指輪はどこかへ行くって、いつからか、もう知っていたような気がします。指輪と過ごしたたくさんの時間、その中で変わっていく自分。指輪はお別れすることで、私に「終了」の形をくれたんじゃないかって思います。しっかりと、大きな愛で、その場に落ちてとどまりながら、私を、次へ送り出す……(もう、ここは私に任せて、次へ行きなさい)そんな感じでした。仕事にある自分、指輪と交流する自分、全て100%味わい尽くすことで、その時の課題がくっきりと自分の中で結晶となります。その自分は、新しいようで、実は本来の自分に立ち戻っていく姿。日々少しずつ戻って行くのでしょうけど、大きく何かが剥がれ落ちたときには、現実にも大きく変化が現われます。どんな変化もただ真っすぐに受け止めることで、自然な流れなんだと受け入れ、また乗り出すことができるのでしょうね。指輪のことが無かったら、来ている流れから目をそらし、どこかでぐずぐずと考えを引きずっていたかも知れません。失くした指輪は、「終了」の形と、去ってなお残せる愛、そしていつも100%の自分であることを、行動で教えてくれました。指輪の姿は、もう記憶でしかありませんが、そのエネルギーは、一緒に過ごした時間と共に、私の中で結晶になっています。最後の最後までとても大きなものを、惜しみなく伝え続けてくれた指輪でした。