ヤミのポンポン菓子 韓旅6-3昌寧-釜山
街中に古墳?横穴式石室か?と思ったら違ってどうやら18cの氷倉庫だ。この公園からずっと市場が続いている。野菜もある。値段は1円=10W時代のことを考えれば日本ともう変わらない。(私は今のw安はいずれ10Wに落ち着くものだと思っている)まあ、日本のより少しやすいものもあるが。この魚は明らかに安い。日本で言うと秋刀魚の位置づけだろうか。人が寄っている。爆発がしている。何かと見ればポップコーンを作っている。米を持ち寄って作る、昔のやり方である。(私のところではポンポン菓子と言った)日本では民俗館に入る代物だ。写真を一枚撮ると、ひどく怒られた。「闇」なのかもしれない。豚の頭を飾っている店はよく見るが、牛の頭は初めて見た。牛の頭はもの悲しい。市場の外れにこんな「タバン(喫茶店)」があった。昼間に見ると普通のちょっと変わった喫茶店に見える。けれども、一般には売春センターらしい。入る勇気は無かった。バスセンターにもどると釜山行きのバスがあり、直ぐに乗る。かつて知ったる西部バスセンターにもどる。直ぐにしたのは、明日のフェリーの予約を取ること。沙上駅まで降りて公衆電話を探したが、なかなか見つからなかった。電話をするとつながったと思ったら別のところにつながる、ということが二回ほど続いた。諦めず国際ターミナル前の観光案内所にかけてみる。今度はつながった。もちろんここでは予約はできない。下関フェリーの直通番号を教えてもらう。やはり番号違いだった。かけてへんなところにつながった。もう一度かけてつながる。今度は予約が取れた。……結局、公衆電話のボタンはきちんと押さないと番号を押したことにならないみたいだ。日本と違いボタンの感度が良くないのだ。でもこれで予約は取れた。明日は安心して釜山を回れる。便利な沙上周辺で宿を取ることにする。前と違う宿を取ることにした。ポクソンジャン(福城場?)旅館。208番。面白いことにこの旅でとった宿の沙上の二日は208、大邱は308、そしてこの宿も208。25000wで取れたのはみんな8が着いている。最初の最悪の宿だけが203番だった。旅の神様が何か細工したらしい。部屋はまあ綺麗だ。シャワーだけどお湯は確認した。この沙上周辺の旅館は25000wで統一しているのではないか。食事をしに外に出る。ずっと魚系の食事ばかりしていたので肉が食べたい。できたら牛肉が食べたい。それで、ずいぶんとウロウロとした。ここぞ、と思ってはいると「一人ではダメだ」と二回も断られた。この店もそうだ。定食だからと言って一人でOKにはならないらしい。最後にたどり着いたのが駅からバスセンターに出たところにある「イ・ビョンウさんのソルノンタン」店である。不本意ながらしっかりとした肉ではないソルノンタンを頼む。右には過去どれだけテレビや雑誌で取材されたかを書いている。1980年「文芸春秋」が取材してべた褒めしたらしい。確かに不味くはなかった。キムチはとても美味しかった。しかし、あの記者が書いたように「アジアで有名な美味しい店」では決して無い。思うに、まだ韓国に不慣れだった記者は、韓国南部を取材するに便利なこの沙上に宿をとっていたのだろう。そして、この私のように、独りで食事をするにこまっていたのだろう。そういうときにこの店はありがたかったに違いない(キッパリ!)。まだ口が寂しかったので、ファミリーマートでチョウンディとツマミ用のラーメンと海苔を買う。しめて2,900w。お店で飲むのと同じ値段である。ゆっくりと飲めるのでこれでOK。この写真の意味は、実はお気に入りのチョウンディを見せたいわけではなく、その向こうの椅子のデザインと壁紙のデザインが面白いと思ったのだ。この唐草模様はこの宿の趣味かもしれないが、広く韓国で採用されている「意匠」である。さかのぼれば加耶時代までさかのぼる意匠である。日本もかつては孤紋帯があった。今はあまり見ない。この連続性と不連続性の違いはなんだろう。と、つらつらと酔いながら夜は更けていったのでありました。コインロッカー2,000 地下鉄3,600 博物館本とお土産20,400 バス3,000 昼飯5,000 お菓子1,500 タクシー3,600 チャンニョン博物館500 大邱→昌寧3,300 昌寧→釜山6,400 宿代25,000 夕食6,500 酒ツマミ2,900 雑誌3,000 ソックス5,000合計89,700歩数21,162歩