「神話のふるさと 山陰のゆかりの地を訪ねる」ブログ数日休載のお知らせ
明日から数日、出雲旅行に出かけます。よって、しばらくブログをお休みします。「神話のふるさと 山陰のゆかりの地を訪ねる」山陰中央新報社出雲を旅することにした。その下調べで、2年前の旅の時に購入した本書を下読みした。私は「古事記」や「出雲風土記」を資料批判無しに扱うことには、大いに嫌悪感を抱いている。ただ、大和対出雲という項目でこの地を見る時に、弥生時代末期から現代にかけてまで清算しきれない想いがこの地に残っているのは確かだろうとは思う。よって、ゆかりの地を訪ねてその空気に触れるのは、益なきことではないと思うのである。何処まで行けるかはわからないが、幾つか候補を挙げる。(1)スサノオのオロチ退治ゆかりの「天が淵」(斐伊川沿いR314沿い木次町)オロチを龍神だとしたら、その棲家はどういうところなのか?オロチ退治の際の「印瀬の壺神」(木次町西日登の八口神社内)も見てみたい。時間があれば木次町から県道24号を15キロ東に行った須我神社(スサノオとクシナダヒメの新居)に行き、「八雲立つ」の場所、和歌発祥地。磐座も見てみたい。(2)風土記の「国引き神話」の解釈として、新羅や隠岐の島、能登半島(石川県)などの遠い国から土地を引いてくる話は、古代人の土地を見る目のダイナミックな部分と共に、当時の交流を反映していたのでは?と見る(古代文学・三浦祐之)。賛成だ。この神話は、出雲王の即位式などで朗々と歌われたのだろうとされる。王権の正統性をこのように証明したのだ。また、土地の余りだけをもらう記述に「出雲人の平和な心情と暮らし」をも見出せる、と加藤義成氏は語っている。出雲市大社町の奉納山公園からは、菌の長浜と三瓶山が綺麗に見えるという。(3)以前1度行ったが、出雲大社東の真名井遺跡(命主社)出土の翡翠の勾玉は、出雲大社宝物殿に展示されているらしい。銅戈(北部九州産)もそこ。どうやら翡翠は糸魚川産らしく越との交流が想定されているらしい。(4)高天原(たかまがはら)側と、大国主(おおくにぬし)側とが、「国譲り」の直談判をした一方の場所が、稲佐の浜より少し北東に行った因佐神社(祭神はタケミカヅチ)近くの屏風岩。ちょっと前までは、ここから海だった。(5)加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡や西谷墳墓群の記事もあるが、流石にこれまで読んできた本以上の知見はない。ともかく写真が美しい。手本に…は無理か(笑)。2018年5月読了