岡山県倉敷市の南部、水島の一角に遠目で見るとまるで亀の形をした山がぽつんとある。そこには、太平洋戦争末期に、三菱飛行機組立工場の巨大な地下軍需工場(トンネル総全長2055メートル)があった。この県下最大戦争遺跡は公開されていない。15年戦争資料センターが主催し、地元教師に土屋氏が案内して、久しぶりの基地工場見学が行われた。
写真のようにセンター代表の上羽氏が挨拶をして始まった。10年ほど前に来たときとあまり変わってはいないが、崩落はすすみ、水もだいぶ溜まっていた。早い保存公開が望まれる。このトンネルは朝鮮の人たちが掘ったものである。ある高校の先生は「この遺跡は朝鮮の人たちとどういう関係を持つのか、そういうことが試されている遺跡だといっていた。」また、小学校時代、亀島に機械の運搬を手伝ったというN氏は、「切削した煙の臭いが充満して、健康には良くなかった。」「西側にトロッコの線路がずっとあって、朝鮮の人たちが脱線したとき「トロッコがトンボした」と言っていたのを覚えている。朝鮮の子供と仲良くなった。「ヨボ(おじさん)」「ナップン(バカヤロウ)」という言葉を覚えた。憲兵が棒を持っては、朝鮮の人たちにひどい仕打ちをしていたのを覚えている。彼らはみすぼらしい身なりをして苦労していた。」などと、見学あとの集会では貴重な証言がどんどん飛び出ました。
午後からは、水島や玉島の戦争遺跡を回ったようですが、私は用事がありかえりました。残念。
午後からは元の職場の歓送迎会に参加。