|
カテゴリ:万葉集
あおによし 奈良のみやこは 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
(小野老) 韓国語で「国」を「ナラ」という。どう考えてもこれは偶然の出来事ではない。日本語の「奈良」が先にあって、朝鮮半島の「ナラ」という単語ができたのではなく、その逆であろう。それほどに、7Cの倭のクニでは渡来人の影響が大きかった。別の言葉でいえば、天皇の祖先はずばり渡来人であった、という学者は何人もいる。この歌で、「奈良」を外来語だと思い、使っているという雰囲気はない。となるとナラが奈良(あるいは国という意味)になったのはいったい何時のころだったのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[万葉集] カテゴリの最新記事
ほんと いつごろからでしょうか?
聖徳太子さんの時代位なのかしら? 渡来人の影響は相当なものであり 人口に占める割合も相当なものだったと思います。 う~ん 悩みはつきません。 でも これが歴史のいいところ。 学者じゃないから 勝手に想像しても だれにも怒られませんもの。 春満開の奈良をイメージさせる歌で 目をつぶると情景が浮かんできますね。 (2007年07月02日 23時05分58秒)
とこおとめさん
ほかにも、韓国語の古語から考えると、いろいろと発見はありそうです。全国にある高麗と言う字やコマと言う言葉、スエと言う言葉、とても奈良時代に入ってきた言葉ではなく、弥生ぐらいに遡りそうな気がします。 (2007年07月02日 23時27分49秒)
愛知から高速を走って 岡山へ行くと 途中いくつか 奈良県にもある地名がありますね。大和朝廷とのつながりを感じずにはいられません。
弥生時代ですかあ。 とすると 日本と呼ばれたのも 一般的に言われている時代より もう少し 遡るかもしれないですね。 (2007年07月03日 22時06分47秒)
とこおとめさん
総社市に箸墓と同じ時期か、それより早い前方後円墳があるのですが、その山が三輪山なのです。桜井市の三輪山は総社市を真似たのだろうか、とずっと思っていたのですが、可能性は低いと思うようになりました。 私のハングルの先生は、大和の南の郡山についてこういっていました。「ナラが国だとすると、コリは村を意味する。郡山はもしかしたら‥‥‥。」 (2007年07月03日 23時27分17秒)
なるほど~。
奥が深いですね。 岡山にも 三輪山があったなんて知りませんでした。 ちなみに いま 額田の有名な万葉集 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに・・・ を曲にしました。 ついつい 額田になってしまいそうです(笑) (2007年07月06日 21時59分46秒)
韓国は認めていないですが、朝鮮半島南部に影響力を持っていた時期があり、使っている言葉も共通していたものが多かったようです。
伽耶や百済も北側の民族が南下して、または中国の強大な影響で、古代朝鮮語を失っていったり名前も中国風になっていったそうです。 日本にミヤやヤマという言葉が残るけど、韓国はクンやサンで、そのあたりの言葉はもう完全に中国風に変わっていますね。 (2014年09月20日 23時25分45秒)
きびきびさん
すみません、記事たった今気がつきました。 最近はほとんどスマホで記事を書いていて、それだと新たなコメントは最新の記事につかない限りは気がつかないのです。 >韓国は認めていないですが、朝鮮半島南部に影響力を持っていた時期があり、使っている言葉も共通していたものが多かったようです。 交流はかなり密だったと思います。それでも韓国語と日本語は、子音と母音の数がかなり違うように大きな隔たりがあります。そのカベは大きかった。対馬と朝鮮半島の間には、近いようで大きな民族的な壁があったと思います。反対に対馬と東北は、民族的なカベは小さかったのではないか。 >伽耶や百済も北側の民族が南下して、または中国の強大な影響で、古代朝鮮語を失っていったり名前も中国風になっていったそうです。 >日本にミヤやヤマという言葉が残るけど、韓国はクンやサンで、そのあたりの言葉はもう完全に中国風に変わっていますね。 ----- そうですね。中国の影響は大きかった。それでも言語体系を変えるほどではなかった。というところでしょうね。 (2015年04月07日 11時10分22秒) |
|