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カテゴリ:万葉集
見渡せば 明石の浦に 燭す火の ほにそ出でぬる 妹に恋ふらく
(門部王) 人は恋する動物である。とも言えるかもしれない。欲情とも違う。共感とも違う。単なる感情の発露でもなく、理性的な状態でもない。恋することで、恐ろしくその人の内面まで入っていけることもあれば、歴史的地球的規模で個人と世界とが相対することも可能になる。思うに、古今東西の歌や小説から恋がなくならないのは無理ないことではある。 さて、それにしても万葉集には恋の歌は多い。それは勅撰和歌集の伝統ではあるが、世界的に見ても稀なことではないだろうか。この門部王も身分の高い人なのに、なんとまああからさまに恋の歌を歌うことか。 「漁火のように目立って出てしまった君を恋する気持ち」このころから漁火漁法があったことに私などはびっくりするのだが、それよりも、昔は電灯などなかったのだから、この火は本当に真っ黒な海の中で人の心のように赤く目だって燃えていたのだろう。情熱的でなんとなく妖しいその気持ちに女性はどう応えたのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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難しいけどこの時代なら始めは歌で答えてたでしょうね。恋文ってとこかな?
ラブレターもらった時代が懐かしい。若くして結婚する時代でしょ?文のやりとりは多かったようにおもうなー。現代っ子みたいに即アタックなんて事無いんじゃない?政略結婚とかお家とかあったみたいだし。頭使わなくて書いてスミマセン。 (2005年09月07日 00時39分34秒)
seieさん
私も全然知らないのだけど、 歌を書いて渡さないと会うことさえできないという文化は平安時代だったらしいのですが、飛鳥時代のこのころはどうだったのでしょうね。でも、ともかくこの歌は「本音」のような気がします。 この万葉集シリーズにコメントくれたのはこれで二度目。たいへん嬉しく思いました。また、始めたくなりました。 (2005年09月07日 09時32分28秒) |
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