再出発日記

2006/02/20(月)00:26

21年前の始まりあるいは「拒否できない日本」

読書(ノンフィクション)(32)

「拒否できない日本」 文春文庫 関岡英之 とりあえず、読書メモです。この本についての関心はすでに書いたし、最新の対日年次改革要望書についての詳しい解説はたとえばこことかに有る。 書いていることは簡単だ。経済分野では日本はアメリカの言いなりに『構造改革』を行っている、ということがアメリカ政府の作ったホームページを読むと一目瞭然だということのみである。 一つ一つのカテゴリーについて、どういうことなのか、何故なのか、これからどうなるのか、私たちはどうすればよいのか、ということになると、あっという間に数冊文の本が出来るだろう。この本はその単なる一冊に過ぎないが、初めて著したと言う意味で画期的であった。たったひとつのホームページが国をいいようにしている。思うに全貌を説明するには百冊の本ではすまないだろう。 ということで、防備禄として気になったところをメモした三つの抜書きのうち前二つはこの要望遺書が出てくる背景である。昨日まで四回に分けて書いた「渡辺治の小泉政権論」では、90年初めから構造改革は準備されてきている、と書いたが、そのきっかけはアメリカが日本に負けるかもしれないという危機感からであったということがわかる。反対にいえば、20年前から彼らは準備してきているのだ。彼らの元には素晴らしい戦略家がいるのだということが良く分かる。 以下抜書き (1985年の)プラザ合意によってレーガン政権は「強いドル」政策と自由放任主義の二枚看板をかなぐり捨てて、為替レートを人為的にドル安に調整する禁じ手に踏み切る。(略)そしてプラザ合意となんと同じタイミングで、「新通商政策アクションプラン」を発表したのである。(略)この新通商政策にそってレーガン政権は1988年8月に「包括通商・競争力法」を制定した。なかでも悪名高いのが一方的報復条項である301条である。これは後に制裁措置を発動する権限が大統領から通商代表部に委譲されることになり「スーパー301条」とよばれるようになった。これこそアメリカのユニラテラリズム(一方的行動主義)の権化みたいな悪法である。(略)じつは1985年アメリカは70年ぶりに対外純債務国に転落し、日本は逆に世界最大の純債権国になっていた。レーガン政権のいやアメリカという国家の路線転換は、まさに「日本に負ける」という危機感によって引き起こされたのだ。 (1989年のブッシュ・宇野対談で20分で決まった)「日米構造協議」という名称自体が日本側による苦心の意訳なのである。英語の原文はStructural Impediments Intiative(S I I)となっており、正確には「構造障壁イニシアティヴ」と訳すべきものである。アメリカが日本の市場に参入しようとする上で邪魔になる構造的な障害をアメリカ主導で取り除こう、という意味である。イニシアティヴは普通「主導権」と訳される単語で、「協議」という語義は無い。(略)そして日本語名称から慎重に消し去られたSIIの最後のI、「イニシアティヴ」という言葉こそ、クリントン民主党政権時代の「強化されたイニシアティヴ」、ブッシュジュニア共和党政権の「改革イニシアティヴ」として現在まで連綿と引き継がれているキーワードなのである。 会計の国際統一ルールは「国際会計基準理事会」という組織で現在交渉が進められている。その理事会の人事が新聞で発表されたとき私は思わず我が目を疑った。定員14名の理事の国籍の内訳を見ると、イギリス人が正副議長を含む4名、アメリカ人が3名、ドイツ、フランス、スイス、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、日本から各1名となっている。(略)アングロ・サクソン系だけで7割を占めている。(略)国際的な統一ルールを決めるということは、そもそもヘゲモニーを争奪する闘いなのであり、どちらが正邪かを問う神学論争ではないのである。(略)日本の「含み益」経営によって土地神話が支えられてきた。(略)減損会計の導入でほくそ笑むのは、日本の資産を安値で買いたたくべく虎視耽々と狙っている外資のハゲタカ・ファンドぐらいであろう。(略)時価会計の影響は一過性のものにとどまらない。企業の決算は相場の変動という不安定な外部要因に毎年振り回される状態が恒常化する。落ち着いて地道な物作りに取り組むよりも株価の浮き沈みに一喜一憂しなければならなくなる。

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