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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:読書(フィクション)
今日は広島に原爆が投下された日。ということで今日はこの一冊を紹介。
『平和の芽』講談社 横山秀夫 いまや出す作品全てが売れまくる横山秀夫であるが、彼が新聞記者を辞めて91年『ルパンの消息』でサントリーミステリー大賞をとった後、98年ごろの「陰の季節」まで長い潜伏期間があった事は一応知られている。『小年マガジン』などの原作も手がけていたそうだ。しかし95年に小年少女読み物で『語りつぐ原爆・沼田鈴子ものがたり平和の芽』という本を執筆していたことを知る人は少ないだろう。また、のちの警察小説を読む人には『平和読み物』と聞いてそのギャップに驚くだろう。おそらく自ら提案した企画ではなく、被爆50年を記念しての講談社からの依頼だったのに違いない。でも読んでみると、ここには実に真摯に当時の政治、世相を取材し、青春の真っ只中で被爆し片足を無くした沼田鈴子さんを聖人視することなく心のひだまでを描こうとする「小説家」横山秀夫の生まれようとする姿がある。 『黒い雨』や『鍋の中』など原爆のときやその後の一時を切り取った文芸作品は有るが、昭和初期からの一人の少女の日常を描き、原爆にあい、どのようなその後の人生を送ったかを描き、さらに80年代の10フィート運動で原爆の語りベとして目覚め、さらにはその後の語りベとしての成長までを描くというそんな小説は他には無い。原爆小説として他には無いタイプの秀作である。 近辺では「ガキ大将」だった鈴子。おてんばっぷりの描写は平和運動家が書く「平和よみもの」とは一味もふた味も違います。軍都広島の描写も私たちが今イメージするヒロシマとは180度違います。鈴子は兵隊さんを見れば「かっこいい~」とうっとりと見とれ、軍国少女になっていきますが、鈴子は図画の時間、アイロンの絵を描こうとして灰色や銀色ではなく真っ赤なアイロンを描いてしまう。「それは鈴子の生まれ持った能力でした。他の人がどう思おうと自分が感じたままを素直に信じる力です。やはり鈴子は見ぬいていたに違いありません。教えられた戦争と、本当の戦争でおこっている出来事との大きな隔たりを」そのように、一人の少女の気持ちの中まで入り込む。『よみもの』ではなく、私はやはりこれを『小説』と呼びたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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こんばんは、お久しぶりです。
『出口のない海』は映画版の予告編を見る限り、「よくある特攻の美化」のような気がするのですが・・・・・・。 この本は是非読んでみたくなりました。 ところで、揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、 村田嘉代子の『鍋の中』には原爆は扱われず、映画化『八月の狂詩曲』で付け加えられ、 村田氏は当時「週刊文春」で怒っていた筈です。 (ちなみに飯沢匡による舞台化では、主人公の老婆はやはり原作を離れて 「満蒙開拓団集団自決の生き残り」になったそうです) (2006年08月06日 22時59分26秒)
明彦さん
コメントありがとうございます。 >『出口のない海』は映画版の予告編を見る限り、「よくある特攻の美化」のような気がするのですが・・・・・・。 ただ、この作者も、山田洋次もそんな単純な話にするだろうか。と思うので、とりあえず見に行くことにします。 >この本は是非読んでみたくなりました。 たぶん本屋にはないでしょうから、図書館で借りるのをオススメします。 >ところで、揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、 >村田嘉代子の『鍋の中』には原爆は扱われず、映画化『八月の狂詩曲』で付け加えられ、 >村田氏は当時「週刊文春」で怒っていた筈です。 げっ! どうもすみません。調べたらその通りでした。 おっしゃるとおり、『8月の狂想曲』のイメージが強すぎてすっかり原爆小説だとばかり思っていました。 ご指摘ありがとうございます。 (2006年08月07日 07時52分30秒)
はじめまして
TB頂いた文面を読んで、この本を読んでみたくなりました。平和運動漬けの広島にいると何故かこの手合いの本にはアレルギーを感じてしまうのです。 私個人の感想ですが被爆以前の章よりも被爆以後の章のほうがリアリティーが感じられて引き込まれていきました。本を読み終えるころは涙、涙でした。 (2006年08月12日 11時05分15秒)
ゲゲゲのイチローさん
コメントありがとうございます >TB頂いた文面を読んで、この本を読んでみたくなりました。 恐れ入ります。そうは言っても、子供向けの本ですし、大人に紹介してよかったのか、あとで戸惑ったのも事実です。 >私個人の感想ですが被爆以前の章よりも被爆以後の章のほうがリアリティーが感じられて引き込まれていきました。本を読み終えるころは涙、涙でした。 ----- 広島の人がそういう感想を持ったことに感動しています。なんか新たな面に気がついたような気がしました。 (2006年08月12日 23時30分53秒) |
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