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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:読書(フィクション)
明日の夕方、21年目のあの事故の日がやってくる。あの時は、私は気の合う者たちだけで、一週間のドライブ旅行をして白浜温泉で休んでいた。ふと見上げると、テレビに「日航機、埼玉・長野県境でレーダーから消える」というテロップが流れた、のを覚えている。今日はこの一冊をオススメする。
『クライマーズ・ハイ』文春文庫 横山秀夫 1985年8月12日、御巣鷹山に日航機墜落事故発生。群馬県の地元紙の遊軍記者、そして急遽全権デスクになった悠木和夫はひそかに『長野県に落ちてくれ……』と願っていた。『世界最大の航空機事故』という見出しが躍るに違いないこの事件のために、初めてのデスク体験に『クライマーズ・ハイ』に陥ることを無意識のうちに恐れていたからかもしれない。クライマーズ・ハイとは登山者の興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺し、ドンドン登ってしまうこと。事実悠木は上司と対立し、特ダネの記事を逃し、ひとり登っていく。 著者は。この事件当時地元群馬の上毛新聞の記者であった。この作品は著者最初の長編新聞記者小説である。新聞記者をリアルに描いたものにほかには高村薫『レディー・ジョーカー』がある。今まではこれが新聞記者小説ではピカイチだった。けれどもこれは新聞記者のみが主人公ではない。今度からは新聞記者小説といえば『クライマーズ・ハイ』が筆頭に上がるだろう。 記事の基本は『足で書く』だ。私も大学新聞を作っていたときに、徹底的に叩き込まれた。だから本物の事故現場を見た記者の滝沢が「現場を見たものだけが書ける記事があるのだ」と叫び、デスクの悠木と対立するのは名場面の一つである。あと三つ、この作品には『ヤマ』がある。(事件もヤマといい、作品の昂揚部分もヤマという。墜落現場はもちろん山だ。日本語とは不思議なものだ。) 紙面会議で悠木は、局長社長と大喧嘩をしながら、どの新聞よりも愚直に詳報に徹すること決心する。遺族が社屋にまで新聞を買いに来たことで、地元紙の存在理由を知ったためである。大事件が起きた後、一般紙は次第と日常記事にシフトしていくのであるが、悠木の新聞のみはつねに日航機事故をどの新聞よりも詳しく載せ続ける。阪神大震災のとき、神戸新聞や地元のラジオはまさにこれをした。御巣鷹山より10年後のことである。これが一つのヤマ。 裏がはっきり取れていない大スクープを果たして載せるべきか悠木は迷う。「(記事は)断定していない。大丈夫だ。うてる。だが……」真実を一番知りたがっているのは、世の中ではなく、遺族なのだ、と悠木は思うのだ。こが一つのヤマ。 そして最後のヤマ。これで悠木は一つの決心をする。 ずーとむかし、大学新聞を作っていたとき、新聞の見方だけではなく、世の中の見方も学んだ気がしている。「足で書く」とは理論をこねくり回す前に現場に足を向けることだ。現場にある無数の事実の中から、一番主張したい事実を拾い上げ、その事実を磨き上げることだ。しかし、新聞作りは記事のみが大切なのではない。どういう割付をするか。何を選び、何を外すか。も、重要な新聞つくりである。だからデスク悠木の役割は決定的だ。そして、どういう視点で新聞を作っていくか、これがもっとも大切でもっとも悩むところなのである。 大新聞である朝日の視点の定まらない姿勢については、何度も、何度も、書いた。 この小説に関していえば、ジャーナリズムに関心のあるもの、ジャーナリストを目指すもの、ジャーナリストの初心を忘れている全ての人にぜひ読んでもらいたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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KUMA0504さん、はじめまして。
『クライマーズ・ハイ』にTBしていただいた、touch3442と申します。 KUMA0504さんのような、硬派のブログの書き手の方からTBしていただくことはあまりないのでちょっぴり緊張しています(^^;)。 この事故の起きる1週間前に飛行機に乗ったばかりだったことや、当時、自分が地方新聞社に出向し、データベース作成に携わっていたこともあって、自分の身に引き寄せて読み終えました。 「最後のヤマ」についての悠木の決断については、他の方のレビューを読んでいると、賛否両論があるようですが、ぼくは悠木の決断が正しかったと思っています。 KUMA0504さんのおっしゃるように、ジャーナリスト志望の方々には是非読んで欲しい作品ですね。 ぼくからもTBさせていただきました。 (2006年08月12日 10時34分48秒)
トラック・バックして頂き、ありがとうございました。
僕も早速トラック・バックさせて頂きました。 日航機墜落事故から21年が経過しますが、 決して風化させてはならない事故ですよね。 (2006年08月12日 21時38分42秒)
touch3442さん
TB&コメントありがとうございます。 >KUMA0504さんのような、硬派のブログの書き手の方からTBしていただくことはあまりないのでちょっぴり緊張しています(^^;)。 大丈夫、大丈夫。 見たら分かるように、「硬派」なのは、本の一部ですから。映画評なんて、TBが30以上集まるなんて、ざらです。今回も無差別にTBしてしまいました。びっくりしたのは、映画評と比べて、書評にはあまりTBは連ならないのですが、これには集まっていました。さすが横山秀夫。 >この事故の起きる1週間前に飛行機に乗ったばかりだったことや、当時、自分が地方新聞社に出向し、データベース作成に携わっていたこともあって、自分の身に引き寄せて読み終えました。 これもみんなの気所読んで気がついたのですが、あのときどういう状態でニュースを知ったのか、みんなよく覚えているということ。きっと、墜落したとき自分は何をしていたのか、みんな何度も何度も思い返したのでと思います。既に国民的記憶になっていますね。 >「最後のヤマ」についての悠木の決断については、他の方のレビューを読んでいると、賛否両論があるようですが、ぼくは悠木の決断が正しかったと思っています。 自分の中でもゆれているところはありますが、あえて断定していうと、匿名じゃあなく、載せること。反響が大きかったのだから、そのあと必ず特集を組むこと。決して辞職に繋がるようなことではなく、私は当然載せるべきだったと思いますし、あの新聞社のその後の対応はお粗末に過ぎます。 (2006年08月13日 00時02分01秒)
本記事とはあまり関係ありませんが、昨日、NHKハイビジョン特集「イナサ~風と向き合う集落の四季~」を見て感動しました。
現在のようなお金中心の弱肉強食的で自由競争資本原理主義的な考え方が蔓延する中、その対立軸である自由共存共同体(私が勝手に命名^^)とも言うべき生活が、まだ、この日本に生きていようとは… 私も幼いころ、在日の間では、「ご飯食べたか?(シッサヘッナ?)」が会ったときの挨拶で、「ご飯を食べて行けよ(シッサヘソカー)」が別れの挨拶でした。よく近所の家におかずや食べ物のおすそ分けを貰いにお使いに行ったことを覚えています。 人間が何百年、何千年にも渡り、揺りかごから墓場まで安心して生きていける社会とは、このように素朴で、自分のためだけではなく、全体のためにも精一杯働き、それが結局、自分のためでもあるような社会が必要なのだと思います。 これは多難な生活へのリスクを、長期に渡り、共同体全体で補っていく社会保障制度ともいえます。 昔、隣に座っていたトルコ人留学生からも、イスラム教について同じようなことを聞きました。 いまのようなお金万能主義では、お金があっても、一日として安心した生活は望めないでしょう。 まして、お金のために戦争などとは論外です。 http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-08-12&ch=21&eid=26292 (2006年08月13日 16時41分38秒)
在日さん
コメントありがとうございます。 きょうやっと一ヶ月以上壊れていたテレビを買い換えることが出来、そういう番組も見ることができそうです。 日本では相当廃れてきていますが、そうは言ってもいまはお盆です。17年間聞きそびれていた母親の秘密も聞くことが出来ましたし、家族の絆も少しだけ強まったような気がします。 話は「共同体」のことでしたね(^^;) (シッサヘッナ?)(シッサヘソカー) 挨拶をして、ほっとするような気持が伝わってきます。世の中、どうなっていくのでしょう。 (2006年08月13日 23時55分37秒)
バック・ナンバーたどると色々網羅されていて大いに読者に役立ちますね。
これの映画はテレビ放映でみたんですが、正直よくわからなかったです。 1985年の墜落事件については、それほど掘り下げている感じではなかったので、早送りしながらみてました。。。そんなら分りにくいのも当然か。。でもこの映画みて遺族は苦々しいだけじゃないっすかね。 この事件は、色々とおかしなことが言われている。救助が12時間遅れたのが、どうも意図的に仕組まれた疑いさえあるとも。 最近では、資料1トンを超す重量のものが廃棄されたと報道された。真相を隠そうとしてるのがアリアリと見えるのも非常に怪しい。 噂では自衛隊の模擬弾が当たったという声がささやかれている。 実際の生き残りの証言では墜落直後すぐにヘリコプターが来たと明言されている(これは後に米軍へりの救助と判明、日本政府に救助活動を拒否されて引き返されたことも判明。米軍は墜落現場をすぐに突き止めていた) 夕陽妄語の「民間機撃墜」を読んでいたら、1983年大韓航空機撃墜後、中曽根政権の官房長官が 「いかなる理由があるにせよ民間航空機の撃墜は許されない」と声明発表した。とある。 この事と、同じ政権で起こった2年後の「色々変な噂がある」墜落事故には、何か私にはピーーンと来るものがあるのは妄想であろうか。。 「いかなる理由があるにせよ民間航空機の撃墜は許されない」と言った手前、隠さねばならなかったのではなかろうか?と。自衛隊の許されない撃墜を。 (2010年09月22日 06時13分32秒)
モンテ・ヤマサキさん
>バック・ナンバーたどると色々網羅されていて大いに読者に役立ちますね。 昔の記事を読むと、暑かったじゃなくて熱かった頃の気持ちが思い出されて汗顔の限りです。「硬派」だなんていわれていたんですね。あの頃は政治ブログを色々と読んでいたけれど、そういえば今はあまり読んでいない。ツィッターは読んでいる。私も流行を追っている小心者に過ぎないのかな。 > > >この事件は、色々とおかしなことが言われている。救助が12時間遅れたのが、どうも意図的に仕組まれた疑いさえあるとも。 >最近では、資料1トンを超す重量のものが廃棄されたと報道された。真相を隠そうとしてるのがアリアリと見えるのも非常に怪しい。 > >噂では自衛隊の模擬弾が当たったという声がささやかれている。 > >実際の生き残りの証言では墜落直後すぐにヘリコプターが来たと明言されている(これは後に米軍へりの救助と判明、日本政府に救助活動を拒否されて引き返されたことも判明。米軍は墜落現場をすぐに突き止めていた) > >夕陽妄語の「民間機撃墜」を読んでいたら、1983年大韓航空機撃墜後、中曽根政権の官房長官が > >「いかなる理由があるにせよ民間航空機の撃墜は許されない」と声明発表した。とある。 > >この事と、同じ政権で起こった2年後の「色々変な噂がある」墜落事故には、何か私にはピーーンと来るものがあるのは妄想であろうか。。 > >「いかなる理由があるにせよ民間航空機の撃墜は許されない」と言った手前、隠さねばならなかったのではなかろうか?と。自衛隊の許されない撃墜を。 ----- 自衛隊機が墜落したんじゃなくて、米軍が墜落した可能性をいぶかって救援を拒否したのかもしれませんね。どちらにせよ、救援を拒否したのが事実ならば、何かに対して「後ろめたいのか」、「無能」なのか。 (2010年09月22日 11時21分56秒) |
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