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2006年12月14日
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カテゴリ:邦画(05・06)
監督 : 山田洋次
原作 : 藤沢周平
出演 : 木村拓哉 、 檀れい 、 笹野高史 、 桃井かおり 、 坂東三津五郎 、 緒形拳 、 小林稔侍

男の出世や生存のために、妻や母が犠牲になる。男はそのために限りない悲しさ、怒りを感じる。という話は藤沢周平の小説の中では、何度も何度も現れる。それは最愛の妻をガンで看取ったときに「人には言えないともし、また思いもした」とたった一言、エッセイの中で漏らし、詳しいことは二度と書かなかった藤沢自身の「想い」から来ているのだと私は勝手に思っている。そう簡単に整理できる問題ではなかったのだろう。

だから、もし物語の中で女が死ぬとしたら、女とは現実世界では夫である藤沢自身のことなのだから、それは藤沢が自分で自分を殺した、ということなのである。もし女が生き残るのだとしたら、そこには「許し」もあっただろうし、それ以外の「何か」もあったに違いない。藤沢の小説の中では中期にいたってやっと女は死ななくなる。

さて、映画であるが、今回はたった一つの短編を二時間近い映画にしてしまった。そこまでしてやっと私は映画が小説に近づいたと思う。藤沢作品を読んだような気持ちになった。

木村拓哉を選んだ狙いは、作品が始まって10分で分かった。なるほど、こんな若者なら、木村拓哉でOKだ。

「一分」とは「面目」とでも言うべきものである。宣伝を見ていると、「武士の一分が愛を守った」とでもいえるように言っているが、実際の映画を見た人は当然いつもの映画宣伝のまやかしであると気がついたことだろう。

と、書いて幾つかの映画評を見ると、そのことについて書いている映画評がひとつもなかった。それで私の意見を少しばかり書いておく。
(以下ネタばれ。文章を反転してください。)
新之丞は島田との果し合いに勝ったあとに、充実感や喜びを感じることが出来なかった。武士の一分に命を懸けたが、分かったのは島田の卑劣さだけであったからだ。その島田も、果し合いのことは誰にも話さずに腹を切ったという。「彼にも武士の一分があったのだな」と同僚が見舞いのときに一言言う。そうだ、「私の欲しいのは一分ではない。加世なのだ。」いまどきの若者である新之丞はやっとそれに気がつく。眼が見えないから、出世が出来ない、生活が不安だ、そんな愚痴を言っていたときに加世のことが見えていなかったのは一分が邪魔をしていたからだ。自分が自分を負け組みだと思っていた。そうではない道は一分にあるのではない、加世にあったのだ。

「たそがれ」で主人公は死んで終わる。「鬼の爪」では若い二人の未来は過酷な北海道開拓の道である。そして三作めにして一番のハッピイエンドで終わったような気がする。前にも書いたが、山田洋次の作品はすべて悲劇の一歩手前で終わっている。この作品はその可能性が最も少ない終わり方であり、三部作の最後にふさわしいと思う。






最終更新日  2006年12月14日 22時42分07秒
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