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2007年03月13日
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またしてもUnder the Sunでコラム当番で書いた文章をこちらに転載します。題して「偏見を持とう」。


私の人生に一番影響を与えた本を一冊だけ選べ、と言われたら決めるのは至難の技ですが、数冊選べと言われたなら、迷うことなくこの本はその中に入ります。
「事実とは何か」(本多勝一)私の読んだのは単行本ですが、今は朝日文庫で容易に手に入れることが出来ます。
この中で本多勝一氏はいうのです。
新聞社に就職して教えられたことに「報道に主観を入れるな」「客観的事実だけを報道せよ」がある。そのことは「その通り」ではあるが、本多勝一はベトナム戦争の取材で、そのことに違和感を抱くようになる。「客観的事実などというものは仮にあったとしても無意味な存在である。」「主観的事実こそ本当の事実である」。それはどういうことなのか。
「ジャーナリストは、支配される側に立つ主観的事実をえぐり出すこと、極論すれば、ほとんどそれのみが本来の仕事だといえるかもしれません」


一番例えとしてよく使われるのは、「沈みつつある船」を報道するのなら、何を報道するか、ということだろう。
豪華客船のワイングラスの輝きを書いてもそれは「客観的事実」だ。
そうではなくて助けに来たレスキュー隊の英雄的な姿を描けば映画「海猿」みたいな作品になるだろうし、座礁に至った無理な航海、安全審査の不備を描けば船舶業界への問題提起ルポになる。

「何を選ぶか」ということは、即ち
「どういう立場に立つのか」「どんな視線を持つのか」
ということと同義語なのだ、ということを20数年前に突きつけられて、今考えると、人生が変わったのだ、としか思えない。
「支配される側に立つ」という氏の説明は、実は現実世界ではそう単純にことは進みません。でもできることなら「見下ろす側にいたくない」とはずっと思ってきました。かっこ悪いことはいろいろあったけど、ね。

ささやかな経験で思うのは、公正中立な人間なんていない、報道なんて無い、組織なんて無い、ということだ。
常に「選ぼう」。自分なりの「視線を持って。」
偏見を持とう。自信を持って。ただし、正確な事実だけはしっかりと持って。






最終更新日  2007年03月13日 23時53分17秒
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