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カテゴリ:水滸伝
一昨日の『水滸伝』評の続きです。
最低賃金生活が終わって最初に買ったのが、この文庫本である。待ち遠しかった。先が見えない。誰が死ぬのか。誰も死んで欲しくない。しかしこの巻でもやはり5人の英傑が死んでいった。 どこかで読んだ気がするのであるが、北方番の編集者はこの巻で楊令を助けようとして死んでしまったひとりの男のことを「水滸伝で最大の犬死」と評したらしい。結果として彼の死は楊令の生き死にに全く関係なかったからそう言ったのだろう。編集者の仕事のひとつは自分が売りたい本をセールスすることだ。特徴をわかりやすく説明する。だから時々常套句として「最初の」とか『最大の』とかの冠詞はついて回る。それ自体はいい。しかしこの『犬死』発言は間違いだ。彼は伏して読者に詫びを入れなければならない。 そこは、この巻で私が唯一涙を流した場面である。死んだ男のしたことは幾人かの男の心を強く動かした。それは誰もが出来ることではない。とくに楊令の幼い心を動かしたことは、これから大きな影響を物語に与えるだろう。 巻の最終で、林冲が李富の仕掛けたわなに嵌り、一人戦線離脱して開封府に赴く。林冲が死ぬはずない、と思う。『水滸伝』の主要登場人物の一人であるし、第一彼の死は戦場でこそ、ふさわしい。暗殺など決してされてはならない。林冲を助けるためにほかの英雄も死んで欲しくない。しかし北方『水滸伝』においては物語の途中で誰が死んでもおかしくはないのだ。その意味では先が見えない。魯達(魯智深)が心配だ。とにかく死ぬな、林冲! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月19日 07時23分21秒
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