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カテゴリ:平和運動
被爆したアオギリがあった。横山秀夫が書いた沼田鈴子の伝記「平和の芽」で彼女が「私のように原爆でこんなにも傷ついて、けれども傷口を包み込むように成長を続けている。」と励まされたまさにその木です。確かにケロイドのようになった傷を表皮が包み込むようにしている。次の写真。公園の南口の辺りに平和記念ポストがあった。なんと昭和27年設置。郵政職員たちの亡くなった仲間をしのびながらの祈りのポストである。 久しぶりに平和資料館に入る。リニューアルオープンしてから二回目の入館。旧資料館と比べると約二倍の展示になり、前半は一般的な核兵器と広島の町の説明。旧市街が精密に復元されている。この資料館は外国の博物館のように、フラッシュのみが禁止されていて、カメラはOKになっている。この辺りも国際的である。全体的に世界に発信しようとする意図が良く見える。後半は一挙に被爆の実相に移る。熱、風、そして放射能。「夕凪の街桜の国」で主人公の女友達が初めてこの資料館を見てはいてしまうのもよくわかる。 外国の人たちも多い。ボランティアの英語説明員も多い。外国の夫婦がぴったり寄り添って展示物を見ていた。最後の展示は「祈り」がテーマ。世界的に有名な佐々木禎子の展示。葬儀のときに友達の配ったという禎子が折った折鶴が展示されていた。色紙ではない。模様のついた小さな紙に折っているのだ。美しい。そして小さいくてよく折れたな、と感心する。 そのあと青年集会で、前記事にしたきゅうちゃんという「折りはと」をきっかけにして九条を訴えて全国を自転車で回っているチャールズ・ワードさんに会う。彼は時間を見つけてはきゅうちゃんを折っていた。彼のホームページはここ。私たちは普通署名などで道を歩く人に憲法九条って知っていますか?と聞いても、無視されてそそくさと去っていってしまうのが99%だと思う。彼の場合はそれの確立が非常に低いらしい。なぜか。まずはきゅうちゃんを見せるのだそうだ。そして言う。実際に道端でやっているのを見せてもらったが、普通の女の人が立ち止まってなんと話を聞きだすのである。「なんで“きゅうちゃん”っていうか知ってる?それは日本の憲法9条の“9”からつけられた名前なんだよ。じゃあ、憲法9条はどんなこと言ってるか知ってる?それは“日本は永久に戦争をしないって誓ってそれを世界に宣言した”ことについて言っているんだよ。でも、その憲法9条が変わっちゃうかもしれないって知ってた?ほんとだよ。保守派って呼ばれる人たちがそれを変えたいって思ってるんだ。でも、もしそれが本当に変わってしまったら、日本は“アメリカといっしょに”戦争に参加してもいいってことになっちゃうんだ。それについてどう思う?」先ずは相手に興味を持ってもらう。そのためのきゅうちゃんなのである。折鶴に似ているが、羽がばたばた羽ばたくところが特徴ではある。話を聞くのは、彼がイケメンの外国人だらだと思ってはいけない。彼の言から学ぶところは多いはずだ。彼はいまや憲法九条を訴えることだけで生活をしている。一個100円のきゅうちゃんセットを売ることでなんと生活出来ているらしい。びっくり栗丸。くわしくはここ さて、青年集会ではほかには名古屋の南医療生協の「ピーススマイル2007」の経験も聞いた。去年は10万の折鶴で巨大なタペストリーを作ったらしいが、今年は2007人の笑顔をデジタルカメラで撮ってそれを写真にあるような横断幕に貼り付けた。デジタル加工してアイロンで布に貼ると割りと簡単に出来るらしい。一人ひとりの人間の「数」を実感してもらおうという取り組みらしい。これも頂くことが出来るアイディアではある。 白い夾竹桃が資料館の南に咲いていた。その南に広島高等女学校原爆慰霊碑がある。建物疎開作業中ここで676人が死んだらしい。慰霊碑を作ったのがまだ占領期間中だったということで、碑中央の少女が持つ箱には「原爆」と言う文字が使えずエネルギーを現す「E=MC(Cの文字は二乗)」が書かれてある。 商店街を歩く。小学生の絵画のタペストリーが飾られている。いかにも平和の街らしい飾りだ。商店街を行くデモ行進があった。ずーと歌を歌っている。キリスト教徒の行進であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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