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カテゴリ:07読書(ノンフィクション)
Ribonさんより雑誌「世界」10月号に小田実の遺稿が載っている、と教えられていたのだけど、店にいったときには既に次の号が出ていて、見ることが出来なかった。今回やっと図書館に行くことが出来て、この重要な遺稿に目を通すことが出来た。
この9ページに満たない小論は、小田実が岩波新書に書き下ろそうとしていた「世直し・再考」の序章に当たる部分である。1972年の岩波新書「世直しの倫理と論理」の増補改訂を計画していたのだが、その計画の途中から全面書き下ろしに変わったのだという。この部分はまだ胃ガンが発見される前の文章、自分としては当然「世直し」の最前線に立つ意欲満々だっただろう。この序章だけでも、それはよく伝わる。 文章そのものは、図書館で読むか、やがて出版されるであろう遺稿集で読んでいただくとして、私の印象に残った部分を紹介したい。 小田実は市民を「小さな人間」だと位置づける。その「小さな人間」が「大きな人間」に対して反逆、勝利する瞬間を幾つか想起する。そのひとつが「1945年のイギリス国政選挙で、大半が「小さな人間」のイギリス市民が、それまでイギリスを強力、強引に引きずって世界大戦での勝利に導いたチャーチル首相の保守党を斥けて労働党を政権の座につけたことです。」と言う。世界史に疎い私は知らなかったのだが、ポツダム宣言の主役の一人であるチャーチルは実は1945年の段階で歴史の表舞台から身を引いていたのである。映画の「シッコ」を見た方なら、思い出すと思う。アメリカの現在とイギリスの現在を大きく分けているのは、国民皆保険の制度である。イギリスはそれを大戦後の皆飢えに苦しんでいたときに実現していて、出てきたイギリス国民はそれを非常に誇りに思っていたのだ。「小さな人間」の勝利の前例はそのように幾つかある。 しかし、小さな人間はなかなか立ち上がらない。それはこのブログを読んでいる多くの人が感じていることなのではないか、と思う。小田実はそれに対して、このような重要なことを書いていた。 彼のべ平連の経験では、「日本の運動も、アメリカの運動も、決して当初から派手に大きく盛り上がったものではありませんでしたし、中だるみの時期もあって、わずか十数人ほどしかデモ行進に来なかったこともよくありました。」「その1966年2月と言う時点では、彼らのベトナム戦争を「いくらなんでもひどすぎる」事態だとする認識は、まだアメリカ社会全体に広がっていなくて、彼らはまだまだ少数者、その意味では「前衛」でした。しかし彼らの「いくらなんでもひどすぎる」認識は、ついに社会全体に広がり、わずか3年後の1969年11月15日には全米各地で参加者の数万人、数十万人規模の集会、デモ行進が行われるほどのものになっていました。」 「ひどすぎる」から「いくらなんでもひどすぎる」に社会全体が移ったときに、小さな人間」は勝利する。と、小田実は言うのだ。 もちろん、ベトナム戦争の条件とイラク戦争の条件は違う。現代の日本の政治はさらに違う。だから方程式のように、ここまでの状態になれば、「小さな人間」は勝利する、とはいえないかもしれない。けれども、文学者として小田実は「いくらなんでもひどすぎる」という言い方で、ひとつの未来を見せてくれた。 今現在、いろんなところで、働く現場で、ネットカフェで、米軍基地建設予定地で、薬害現場で、「小さな人間」が「いくらなんでもひどすぎる」と呟いている。呟く現実は確実にある。その声をいかに大きくするか、ほんの少しでもブログが役に立てばいいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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ご紹介ありがとうございます。
是非見つけて読んでみます! ところで、きょううちの60007番目のアクセスがKUMAさんでした。60000番からしばらく楽天以外のアクセスで、いちばん近いのがKUMAさんでしたので、記念にお菓子かお花の画像を差し上げたいのですが、(両方でも可)差し支えなければメルアドお知らせください。 メッセージ欄に書き込んでいただければと思います。 もちろんパスされても文句はありません。 (2007年12月06日 00時25分58秒)
KUMAさんのブログは内容が濃く、読み応えがあるから、みんなアクセスしてくるのでしょうね。すばらしい発信地になっていると思います。
ほんとうは、賢明な権力者であれば、「いくらなんでもひどすぎる」状態を作らないように常に努力すべきだと思いますけれどもね。 (2007年12月06日 10時01分13秒)
abi.abiさん
六万アクセス、おめでとうございます。 ありがとうございました。 昨日深夜、返事をしておいたように、お花の画像をくださいな。 (2007年12月06日 17時15分53秒)
永遠のホホエミさん
>KUMAさんのブログは内容が濃く、読み応えがあるから、みんなアクセスしてくるのでしょうね。すばらしい発信地になっていると思います。 > >ほんとうは、賢明な権力者であれば、「いくらなんでもひどすぎる」状態を作らないように常に努力すべきだと思いますけれどもね。 ----- 中国には、「賢明な権力者」ではなくなったら、「革命」をするという伝統があるので、「ひどすぎる」がずーと続くという社会は理解できないかもしれませんね。「いくらなんでもひどすぎる」というつぶやきは、どのような状態なのか、その具体的な経験を小田実さんは書く予定だったのだろうに、すこし残念です。でも今まででもたぶん発信していたのだろうから、あとは残された者の責任でするしかないのでしょう。 (2007年12月06日 17時19分08秒)
今晩は、お久しぶりです。コメント欄でははじめましてでしたっけ? TBは以前、送らせてもらった気はするんですが、物覚えが最近富に悪くって・・。
>中国には、「賢明な権力者」ではなくなったら、「革命」・・伝統・・、「ひどすぎる」がずーと続くという社会は理解できないかも 孟子の易姓革命ですね。カストロも、まず合法的に裁判で訴え、そこで、権力側が『無茶な弾圧』を加えてきたら、人民が蜂起してもいいという憲法の規定に則り、キューバ人民を奮い立たせましたね。 日本でも? 此処らへん『国権の発動によらない』人民の『実力行動』をどう捉えるのか? 左派・リベラルの間で今は議論すらないというのは、やはり『平和ボケ』っていうことになるんでしょうか? 或いは、平和憲法が隅々にまで行き渡っていて、どんな『策動』にも『挑発』にも載らないだけの確固とした決意を既に日本人は有しているのでしょうか? 小田さんなら、果たして? かつて(50年代終わり頃)は都留重人さんらが『国家をどうとらえるか?』といった議論していたようですけど・・。 (2007年12月08日 21時36分27秒)
三介さん
コメントありがとうございます。 『国権の発動によらない』人民の『実力行動』をどう捉えるのか、わからないのですが、昔から『革命権』については議論があったと思います。 憲法そのものに『革命権』を明確に規定したのは、植木枝盛だし、それに影響受けた鈴木試案の憲法ですが、ついにそれを積極的に受け入れようという世論が起きたことはありません。そこが問題だということで延々と議論があるところです。 三介さんが平成の新たな議論を起こしてみては。 (2007年12月09日 01時01分40秒) |
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