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カテゴリ:07読書(ノンフィクション)
今年の大仏次郎論壇賞には朴裕河(パク・ユハ)世宗大副教授の「和解のために」に決まった。
「和解のために」(平凡社 朴裕河著 佐藤久訳) 今日の朝日に彼女の受賞記念論文「日韓の平和共有のために」が載っている。 この本において、彼女は敢えて火中の栗を拾い、慰安婦問題をはじめ、教科書問題、靖国問題、独島(竹島)問題について考察したという。なぜなら「日韓の間において最も難しい問題であるだけでなく、それらが別々の問題に見えて実は近代国家が生んだ問題として緊密に連携しているという認識」があったからだそうだ。 たとえは慰安婦問題では、日本をこのように批判する。 「「新しい教科書を作る会」が慰安婦問題をなお否定しているのは、それが次世代に日本人の「誇り」を傷つける問題だという認識からである。しかし、「誇り」を単に国家の偉大さにおいてのみ見出そうとする限り、その誇りは他者も共有しうる普遍的なものにはならないだろう。たとえば、責任を取ることからも私たちは誇りを見出すことが出来る。慰安婦問題では、たとえ一部の人たちが「自発的」に行なったとしてもそれは植民地構造が引き起こしたことである以上、日本がその責任を免れることはできない。」 「現代の若者にも戦争責任はある」と加藤周一は言います。戦争責任を取らない政府を選び続けている以上、私たちにも責任はあるのです。と、私も言い切ることが私の(かすかな)「ほこり」でもあるのです。一方、バク氏は韓国国民への批判的視点も鋭いものがあります。 「しかし一方、現代韓国はいわゆる「右派」的思考が「敗戦」をめぐる複合的文脈から生まれたものであることを見ようとせず、彼らと絶えず対峙してきた戦後日本のいわゆる「良心的」動きも十分に評価することはなかった。日本による植民地構造の構築を無力に許し、たとえ「自発的」でないにしても加担してきた韓国民もまた、痛みを負うことになった人々に対する責任から全く自由でありえるわけではない」 この視点‥‥‥特に「日本による植民地構造の構築を無力に許し、たとえ「自発的」でないにしても加担してきた」と言うところは新鮮だった。独裁政権の下、間接的に日本の保守政権の存続をアジアの政治力学の元、許してきたのは確かではあろう。 そんなこんなの詳しい歴史的検証をこの本でして居るようだ。大仏次郎賞受賞の「民主と愛国」(小熊英二)もまだ読書中なのだが、この本も一応積んどくことにしようと思う。 「平和共存」とは言わずに「平和共有」と言ったところに、朴氏の想いがよく出ている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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朝日の受賞記念論文を読んで気になった人でした。
民族主義を超えた、骨太のリベラリストという印象を受けました。 (市井の読者がこんなに評価するのもおこがましいが) (2007年12月23日 12時00分11秒)
Mドングリさん
>朝日の受賞記念論文を読んで気になった人でした。 >民族主義を超えた、骨太のリベラリストという印象を受けました。 >(市井の読者がこんなに評価するのもおこがましいが) ----- 韓国は日本と違って非常に「論理の同化性」の高い民族ですから、この本を韓国内で出版すること自体かなり勇気のいったことだったと思います。そのことでも見ごたえはありますね。 (2007年12月23日 13時42分07秒) |
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