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カテゴリ:08読書(フィクション)
いまだかつて犬も猫も飼ったことはない。犬に関してはトラウマがある。三歳の頃、犬のオバケに食われる夢を見た。それが私の覚えている最初の夢で、以来オバケのQ太郎にはずっと親近感を覚えていた。二歳上の兄たちが父親に反対されて犬ころを裏山の砂ダムの近くで長い間飼っていたことがある。いつの間にかいなくなったようだ。生き物は飼ったことはある。10歳の頃、番の文鳥を手乗りにすべく、ヒナから飼った。手乗りの練習をしているとき、ある日窓から飛び出した。そのまま野生化してくれればいいのだが、彼らは家の周りで時々見つけた。おそらく餓死したに違いない。これもひどいトラウマになった。そういえば、夜店で飼った金魚を死なせて、金魚の墓を母と一緒に作ったこともあったけ。
「ブラフマンの埋葬」小川洋子著 講談社文庫 最初に感じ取ったのは体温だった。そのことに、僕は戸惑った。朝露に濡れて震えてている腕の中の小さなものが、こんなにも温かいなんて信じられない気持ちがした。温もりの塊だった。 物語は<僕>が裏庭で瀕死の生き物を見つけたところから始まる。どんな種の動物なのかは最後まで明らかにはされない。犬ではない。水かきとひげを持っていたのだから。<僕>はこの生き物に<ブラフマン>-謎と言う意味-と名づける。ブラフマンはしだいと元気になっていく。 ブラフマンはどこにいるのか。机の下の暗がりに隠れている。僕と視線が合うと、自分の一番可愛い顔を見せようとするかのように、大きく目を見開いて瞬きさえしない。自分もたった今、ここへ置き去りにされたばかりで、何がどうなっているのか分らないのです、という表情をする。 やはりブラフマンは目をそらさない。僕が言葉を発するとき、目があっていなければ、その言葉は中をさ迷ってどこにもたどり着けない、と信じている。 ブラフマンの目は赤ん坊の目のような気がする。何の邪心もない。それと同じような目を、私は最近毎日毎日病室で出会っている。ブラフマンも、赤ん坊も、病室の男の目も、気負った欲望はなくて、まっすぐに見つめてくる。命そのもの、と言えるだろう。 <僕>はブラフマンと相対し、ひと夏の貴重な経験をする。 私はこの本を読んだあと、犬を飼いたいと切実に思うようになった。既にトラウマは解消しているから飼えるだろう。隣が兄貴の家だから、数日家を留守にしても頼んでいけるだろう。<命>と<死>は隣り合わせである。ならば、命の素晴らしさを感じてみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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