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再出発日記

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2008年05月17日
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カテゴリ:平和運動
「相棒-劇場版-」で私は「いまどき珍しい社会派映画である。イラク戦争のときの「自己責任論」をここまで正面にすえた映画はいままでにはない。」と、テーマ自体は評価したが、映画の完成度はそんなに高くないと思っていた。他のブログの批評を観てみると、案の定、前半と後半で犯人像が違うところとか、いろいろな齟齬が指摘されている。ただ、いくつか見ていてショックだったのは、一人二人ではあるが、いまだにイラク人質事件での「自己責任バッシング」は当然だったというブロガーがいたということだ。2004年に相次いで起こったイラク人質事件については、私は彼らが自己責任だと非難されるいわれは全くないと思っている。

問題なのは、このときから「自己責任」という言葉が独り歩きして、至る所で聞くようになったということだ。その背景には、新自由主義の流行があるように思う。「官から民へ」。そして、本来の用法とは異なり行政・監督責任の責任転嫁に使われるようになった。そしてそれを追認していく、一部のネットユーザーたち。

しかし、私は根本的にその使われ方はおかしいと思っていた。その言葉にならない違和感の正体を、湯浅誠著「反貧困」(岩波新書)は見事に明かしていた。


湯浅誠氏は、奥谷禮子氏の、
奥谷「経営者は、過労死するまで働けなんて誰も言いませんからね。ある部分、過労死も含めてこれも自己管理だと私は思います。」
風間「過労死を含めての自己管理だということですか」
奥谷「そう。自分か健康状態はどうなのか。ボクシングの選手と一緒ですよ。」
風間直樹「雇用融解」参照)
のインタビュー記事を批判する形で自己責任論批判を展開する。

少し長くなるけれども紹介したいと思う。

 奥谷氏の発言は、「労働者に死ねというのか」「実態が分かっていない」と多くの批判を浴び、ネットの掲示板は炎上した。(楽天ニュース2007年1月16日付)しかしここで改めて考えてみたいのは、なぜ多くの人がその発言を「ひどい」と感じたのか、というその感じ方・考え方である。なぜなら氏が開陳した理屈それ自体は、すべての自己責任論に共通する典型的なものだったからだ。奥谷発言に異議を唱えるなら、世の中に自己責任論は蔓延しないはずだ。しかし実際には、世の中に自己責任論が蔓延しつつ、かつ奥谷発言には異議申し立てが相次いだ。なぜなのか。 奥谷氏の発言は次のように展開されていた。(1)社員には(休むという)選択肢があった。(2)社員はあえてそれを選択しなかった。(休まなかった)(3)本人が弱く(ボクサーのような)自己管理ができていないからだ。(4)それは本人の責任である。(5)社会や企業・上司(もちろん経営者を含む)の責任を問うのはお門違いであり、社会が甘やかしているだけだ。
 この理屈にはあらゆる自己責任論に共通する要素が揃っている。
 たとえば、フリーターについての自己責任論は(1)フリーターには、ちゃんとした正社員になるという選択肢があった。(2)フリーターはあえてそれを選択しなかった。(3)本人が弱くてだらしなくて、きちんとした将来設計(自己管理)ができていないからだ、(4)それは本人の責任である、(5)給料が安いとか雇用が不安定だとか不満をいうのはお門違いであり、社会が甘やかしているからそうなる、と展開する。
 また「ネットカフェ難民」についての自己責任論は、(1)ネットカフェで暮らすようになる前に、ほかにアパートを維持する選択肢があったはずだ(もっと安定した仕事に就く、親に頼るなど)(2)「ネットカフェ難民」は、あえてそれを選択しなかった。(3)本人が弱くていい加減で、安易に「泊まれるから」と流れていった(自己管理ができていない)からだ、(4)それは本人の責任である、(5)お金が貯まらない、生活が大変だと不満をいうのはお門違いであり、社会が甘やかしているからだ、と展開する。
 犯罪、児童虐待、そして生活保護受給者すべてに対して、これと同じ理屈で自己責任論を展開することが可能だし、実際に展開されてもいる。
 ではなぜ、奥谷発言だけが非難されたのか。理由は、労働者が「休む」という選択肢を取るのは簡単でないのに、誰でもいつでも休めるかのように言い繕い、過労死という死の責任を被用者に押し付け、使用者の責任を棚上げしていることに気づいたからだろう。そして「簡単に休めない」ことを多くの被用者は、自らの経験として知っていたからだろう。
 つまりすべての自己責任論の前提である(1)と(2)、「ほかの選択肢があって、それを選べたはずなのにあえて選ばなかった」という部分が、この場合には成り立たない、基本的な前提を欠いている、と多くの人たちが知っていたからこそ、にもかかわらず自己責任を展開した奥谷氏に対して「ひどい」という感情が湧きあがってきたのだ。
 実は、貧困状態にまで追い込まれた人に自己責任論を展開するのは、奥谷氏が過労死した人に自己責任を押し付けたのと同じである。なぜなら貧困とは、選択肢が奪われていき、自由な選択ができなくなる状態だからだ


この本は貧困状態にある人たちがいかに「選択肢を奪われているか」そして「それを取り戻そうとしているか」かを論じた本なのであるが、それはまたの機会に書きたいと思う。

さて、イラク人質事件に関していうと、あの時彼らをパッシングした人たちはあまりにも安易に「彼らはイラクを離れる(入らない)選択肢があったはずなのに、それをあえて選ばなかった」と判断したのではないか。我々は一体どれだけのことを知りえていたのか。貧困問題でもそうだが、事情を知れば知るほど「彼らの選択肢は奪われていた」ということを知るのである。本当に選択肢はあったのかどうかを検証するのは、彼らが無事生還した後でないとわからない。それがまず前提であるべきだった。パッシングした人たちは明らかに間違っていた。
そしてこの問題に限って言えば、たとえ彼らが無謀な選択をしていたとしても、政府は彼らの生還のために最大限努力をするべきであったし、政府が帰りの飛行機代を彼らに請求するなんてのは完全なる間違いである、ということだ。国家としての責任とはそういうものだろう、と私は思う。







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最終更新日  2008年05月17日 15時19分20秒
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