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2008年06月19日
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カテゴリ:中江兆民
1873年の秋、青年中江篤介はフランスのモンマルトルの丘に登っていた。篤介はこの丘が好きだった。狭い階段を登りきってうしろを振り向けば、突然ヨーロッパ文明が現れる。計画的に作られた道路、ほとんど二階三階建ての煉瓦造りの家々、ところどころに天に聳える教会が頭を出している。

見えるのはそれだけではない。中心通りにある一画の建物が崩れているのは、2年前の民衆の反乱事件―のちにパリ・コミューンと呼ばれる―の名残だ。篤介は一年前にフランスに来たので、その事件は見てはいない。だから当初は江戸末期の「ええじゃないか」と同じように民衆の不満が爆発した「狼藉」だと思っていた。けれどもこの一年間、酒場でいろんな人物と飲み歩いていると、単なる暴動ではないと思えるようになって来た。篤介は留学前は江戸でフランス語の通訳をしていた。日常会話程度なら会話に困ることはなかったのである。

昨日も酒場で面白い人物にあった。 
その人物は職業は絵描きだという。けれどもこのモンマルトルの丘で画家の卵がよくしているような風景画家ではないと言う。
「即興画家といえばいいのかな。ポンチを描いているんだ。その絵を俺は新聞社に売るのさ。印刷にかけるから、複雑な線は描けない。単純な一本の線で本質を描く。例えば、二年前の共和政府弾圧の顛末とかさ。」
「あれは暴動ではなかったのか」
「まさか。あれは我々労働者が主人になった国家だったのさ。たった72日間だけだったけどさ。俺たちはちゃんと政府も作った。女たちも初めてそれに参加した。子供たちも、教育を受けるのは無料にした。」
「そんな無茶なことを。自由にやりたいほうだいじゃないか。」
「やりたいほうだいじゃあ、ない。君は自由の概念がわかっていない。」

篤介はうっと詰まった。実は自由と言う言葉は深い意味があるということを、フランスに来る前アメリカでも感じていたのである。ここでは便宜的に英語を使って篤介の疑問を解説したい。日本では古くから自由という言葉はあった。「日萄辞書」(1603)においても「liberty」が「自由」と訳されている。しかし、その後の日本の町人文学の中での使われ方は「自由気ままに」という使われ方であった。篤介はしかし、それは町人たちの限られた範囲の中での「自由気まま」であることは知っていたし、町人は侍に逆らうことは許されず、自由とはわがままと同じような意味にも捉えられていたのではある。しかし、アメリカではlibertyとはrightとして扱われていたのである。のちに福沢諭吉が「西洋事情」の中で、「人生の自由はその通義なりとは、人は生まれながら独立不羈にして、束縛をこうむるのゆえんなく、自由自在べきはずの道理を持つということなり」と喝破したように自由と独立はセットであり、権利として捉えられていたのである。

どこからそのような考え方になるか。
篤介自身は知らなかったが、アメリカの独立宣言は、「全ての人間は平等に造られている」と唱い、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げていた。そしてこの宣言の基礎となったのが、1789年のフランス革命で謳われた人権宣言のなかの「自由・平等・友愛」の精神なのである。

「"人間は自由なものとして生まれた。しかも至る所で鎖につながれている。"」とポンチ画家は突然暗誦するように語った。「"人民自ら承認したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない。"」彼は紅潮して言う。「だから大多数を占める我々が話し合って法律を作ったのだ。どこがやりたいほうだい、なんだ?」
「悪かった。」篤介は素直に謝った。
「君の意見は私の人生を変えるかもしれない。もっと教えてくれ。」
「いや‥‥‥」と青年は急に頭をかき、「これは実は俺の兄貴の受け売りなんだ。なんでもルソーと言うえらい学者の書いた「社会契約論」にあるそうだ。」
「ルソー‥‥‥」
篤介はやっと自分の進むべき道を見つけたような気がした。
先ずはルソーを読もう。
それだけじゃなく、フランスやヨーロッパの歴史を学ぼう。自由とは考え方ではない。長い歴史の中で血と汗で勝ち取ってきたものなのだ。俺は福沢諭吉みたいな学者然とした啓蒙活動かにはならんぞ。理論を学べば、あとは実践していく。それなしに、自由の獲得はありえない。
篤介のちの東洋のルソーといわれた中江兆民の出発点がこのフランスの居酒屋だった。

篤介は遠くまで煙るように続く巴里の都を見据えながら一人呟く。「それにしても、あの青年は面白かった。確かジョルジュ・ビゴー といったけ。日本に行きたいといってたな。来たら歓迎しなくちゃ」のちにビゴーは本当に日本にやってきて、ちゃっかり中江兆民の仏学塾の教授に納まりながら、漫画雑誌を創刊したりするのであるが、兆民が日本に帰り、自由民権運動の中心になっていくさまはまたの機会に書きたい。

abi.abiさんからの「40万アクセス記念リクエスト」遅くなってすみません。調べておこうと思った本がどこかにいっていたもので‥‥‥。
彼女からの三題話「アメリカ、フランス、自由」はこんな感じでいかがでしょうか。
travel_03_002.jpg
モンマルトルの丘から眺めた雪景色の巴里






最終更新日  2008年06月19日 23時57分58秒
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