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カテゴリ:水滸伝
北方謙三は「三国史」を中国歴史小説の最初に書いた理由を「替天行動」のなかでこのように説明している。
「日本の皇国史観です。へぼくは歴史小説では南北朝を中心に書いたんで、皇国史観にぶつかることが多かった。ぶつからずにそのままかける舞台が「三国史」だったわけですよ。」魏は反皇国史観を代表し、蜀は漢の王室を守り立てていく。日本の南北朝時代をさらにスケールアップして書ける舞台が三国史というわけなのだろう。 よって、同じく有名な英雄が入れ替わり立ち代り登場する物語とはいえ、「水滸伝」の革命ピカレスクロマンとは大きく方向が違う。 一巻目と二巻目を読んだ。(ハルキ文庫) ここに出てくる劉備や曹操、孫堅はいずれも従来の三国史のイメージでは、君子、野心家、才子であるが、この北方版では違う。みいんな「野心家」なのである。だからと言うわけでもないのだが、この三人、皆どうも共感できなかった。泣けないのである。噂では三巻目に「泣ける場面」として呂布の最後があるらしい。さもありなん。この人間くさい呂布ならば泣けるかもしれない。 けれども、三巻目までたどり着く前に挫折宣言です。やはり私は国盗りゲームには興味を持てない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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