|
カテゴリ:アジア映画(08)
韓国ドラマ「ファッション70's」(28話)を見終えました。
「光州5.18」で主演女優のイ・ヨウォンの主演だということだったので見たのです。彼女は映画「子猫をお願い」でペ・ドゥナの向こうを張り、上昇志向の強いキャリアウーマンを演じて実質デビューを飾り、李朝時代の商人を描いた「大望」で主人公の恋人の女医者を演じて存在感を示していたのですが、そのあとすぐに結婚したらしくいったんは芸能界を引退、そしてこのドラマで復帰したというのです。 イ・ヨウォン、なかなかいいんですが、チョン・ドヨンのような演技派のオーラは感じません。後しばらく様子を見ようと思います。 ポニーキャニオン ファッション70’s BOX-I 製作: 2005年 韓国 監督: イ・ジェギュ 出演: イ・ヨウォン(ドミ) / キム・ミンジョン(ジェニ) / チュ・ジンモ(ドンヨン) / チョン・ジョンミョン(ビン) ファッション界に身を投じる女2人とそれを見守る男二人との四角関係という韓国ドラマの王道なのですが、いくつか違うところがあります。 ひとつは始まりが朝鮮戦争だということ。韓国ドラマとしては珍しい時代設定です。朝鮮戦争が勃発、親とはぐれてしまったガンヒとジェニの女の子仲良し二人組は二人だけで軍隊のズボンを盗んで売りながら生きていた。将軍の息子ドンヨンとデザイナーの息子ビンとジェニの父親、ガンヒの母親は二人を捜していたのだが、あともう一歩のところで、2人は軍隊の哨兵に撃たれて行方不明になる。ジェニは死んでしまったと思い込んだジェニの父親はガンヒをジェニとして育てることにする。ガンヒの母親は養生所で記憶喪失になったジェニを見つけ、貧しいながらも養女ドミとして島で暮らす。それから17年後の1970年、繊維会社の社長の娘として育ったガンヒことジェニは努力して美しく聡明なデザイナーの卵に。島の娘として育ったジェニことドミはたまたま訪れた大統領補佐官のドンヨンと再会するがお互いまったく気がつかず。二人は恋に落ちるが、政変に巻き込まれて秘密裏に帰ったドンヨンを追ってドミもソウルへ。その途中で会った有名デザイナーの不良息子ビンはドミに一目ぼれ。そしてソウルではなんとドンヨンとピンとジェニ(ガンヒ)は友人関係。しかもジェニはドンヨンにべたぼれ。……とまあ、こんな展開です。 北朝鮮の戦線が突然動くことで、多くの住民が大移動を余儀なくされ、その過程で離ればなれになったり死んでしまった家族も多いことだろう。そのあたりがかなりリアルに描かれています。 注目すべきは、典型的な四角関係なのですが、どろどろの恨み関係ではないのです。ドミはジェニにとってはドンヨンをめぐる恋敵、またドンヨンはビンにとってはドミをめぐる恋敵のはずなのですが、一方では、ドミとジェニは別れ別れになった昔の友人、ドンヨンとピンは兄弟ともいえる友人関係。……わかりますか?この関係。20話ほどまでにドミの記憶が戻るまで、思った以上にどろどろの関係にはならないのです。ジェニは早くからすべてに気がつくのですが、だからこそドミを恨みきれないのです。本当は「生きていてうれしい」と言いたいのにいえない。ドミとジェニは70年大阪万博に出品するデザインをめぐるライバル関係にもあります。このあたりが案外さわやかな対決になっていて興味を続けさせます。 一方では、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が割と「いい役」で出演になっていて、現代韓国国民にとっての朴正煕像の一端が分かるというおまけもあります。 ところが、最後の最後になってまるで今までの設定をかなぐり捨てるように一気に悲劇モードになってしまうのです。これには全く驚きました。以下はネタばれ。それでもいいという人は文字を反転してみてください。 ジェニはドンヨンがドミを選んだこと、父親がドミを娘として迎えジェニを養子として迎える決定をしたことで捨てられたと思ったこと、母親が自分にもとを去ったことで捨てられたと思ったことで、自暴自棄になり睡眠薬を飲んで死のうとしたところ誤って父親が飲み、死んでしまう。ジェニはショックを受けてそのまま父親殺人犯人として死刑を受けてしまうのである。 もとは朝鮮戦争が生んだ親子の離別の悲劇でした。その悲劇の交差した糸をとき解すのに途中まで成功するのに、最後のところで失敗するのである。最後はドミのデザイナーとしての成功ドンヨンとの恋の成立で終わるのですが、私にはとってつけたようなラストとしか思えませんでした。(ところがこのドラマラストのあたりで視聴率が急上昇、最初15%から始まったのに、30%を越えたようです)視聴率に困ったプロデューサーが突然悲劇に切り替えたのではないかと推測します。 韓国には「恨(ハン)」という言葉があります。よく「恨を解く」というようです。この韓国ドラマも子ども時代はすべて「恨」の発生物語です。それを24話くらいかけて解いていく。死んでいたと思っていた友人や親子が生きていた、けれどもそれに気がついた時には素直に喜べない状態になっている。私なんかは時々、どうしてそんなにこだわるのだ、水に流せはいいじゃないか、と本気で思います。だって不幸になるのが見ていられない。けれども不幸になってもいい、解くということ事態が彼らの生きがいなのだ、とふと思いました。 つまり韓国の人たちは、物事が「流れる」「なる」ことに耐えられないのでしょう。戦争は庶民にとっては「なる」物語です。だから「恨」が生まれる。それを解くためには行動を起こさなければならないのでしょう。そのために新たな「恨」が生まれたとしても。(だから大規模なデモが起こる)実際、このドラマもいくつかの「恨」は生れて終わったはずです。けれどもそれは次の時代が解決する問題ではあるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[アジア映画(08)] カテゴリの最新記事
韓流ドラマは見始めるとくせになるのでドラマはなるべく見ないようにして映画だけにしていますよ。でも面白そうなドラマですね。
(2008年10月05日 15時03分11秒)
じゅんぺい1960さん
>韓流ドラマは見始めるとくせになるのでドラマはなるべく見ないようにして映画だけにしていますよ。でも面白そうなドラマですね。 ----- 私もあくまで韓国語の学習のために週一本は見るようにしているのですが、時々続きが気になって止まらなくなることがあります。今回がそうでした。 (2008年10月06日 00時04分00秒) |
|