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カテゴリ:加藤周一
加藤周一氏が亡くなられた。この夏から朝日新聞連載の夕陽妄語を休まれており、九条の会の交流会も欠席で心配していたのだが、まさかこんなに早く亡くなられるなんて‥‥‥。ショックである。言葉もない。
私は、今日哀悼の言葉は書くが、氏の業績をまとめようという気持はさらさらないし、出来もしない。しかし、いつかはしないといけないという気持ちは持っている。ずっと前から左のカテゴリーに「加藤周一」を設けているのは、その決意の現れだ。加藤周一論は私のライフワークだとずっと勝手に思っている。 初めて氏の著作に出会ったのは、高校時代だった。そのとき私は梅棹忠夫の「文明の生態史観」(中公文庫)にはまっていた。歴史を抜きに今ある現象を捉えて、世界の国々の特徴をいくつかの型に当てはめた(今から考えると底の浅い)「世界の見方」であるが、世界史を習ったばかりの高校生にとっては新鮮な世界観であり、なにより分り易かった。(梅棹氏の「知的生産の技術」を読んで京大カードを手に入れて200枚くらいカードに記入して終わったのもこのころ)梅棹氏の著作に刺激されて幾つかの日本人論を読んだ。その中に加藤周一著「雑種文化-日本の小さな希望-」(講談社文庫)があった。そして、その中に加藤の「文明の生態史観」批判があった。その明晰な論理に一挙に心酔した、わけではない。確かに批判に説得力はあった。しかし一方で、氏が提起している日本人論はあまりにもありきたりで新鮮味がなかった。日本の文化が和洋折衷だと言うことは誰でも知っていることじゃないか。しかもその輸入文化を次々とたまねぎの皮のように剥いでいくと、本当の原型が出てくるわけでもないと言う。狐に包まれたような話だった。 次に出会ったのは、大学2年、山田洸先生の日本思想史の講義の中であった。山田先生は氏の梅棹史観批判や雑種文化論を大いに評価し、この論を全面的に発展させたのが「日本文学史序説」(筑摩書房)であると言って夏休み前の講義を終え、ちょうどその夏に下巻が発売され、夏休みあとの講義で山田先生は「この夏の最大の収穫だった」と言った。私はその後一年ほどかけてこの本を読み、すっかり加藤周一に魅了された。その後今に至るまで氏の著作の9割以上読んでいるという自信がある。文字通り古今東西に渡る一級の知識量とそれをまとめる明晰な論理、高い倫理性。 「この人を知ることで、世界を知ることが出来る」 22歳の私はそう思った。 加藤周一氏が亡くなられた。89歳である。本来ならば、十分に生きた歳である。感謝と慰労の言葉をかけるべきなのだろう。しかし、客観情勢は、大いに惜しみ悲しめと言っている。 2008年12月5日、日本の知性は頭ひとつ低くなった。 フランス、ドイツ、アメリカ、カナダ、中国、韓国と、日本よりも世界に知られた思想家だった。 万葉集から小田実に至るまで、必要な日本の文学作品を万遍なく読み、的確に歴史的な評価が出来る唯一の日本文学者だった。 縄文美術から現代美術、あるいは建築文化まで、その守備範囲はひろくにわたり、日本文化と世界文化との違いを統一的に説明できるおそらく唯一の人だった。 20世紀末、「20世紀はどんな時代だったのか」を述べる本が幾つか出たが、三冊も発行されたのは氏のみだった。 日本の知性は頭ひとつ低くなった。 けれども残された者は、頑張るしかないのだろう。 加藤さん、しばらくはゆっくりお休みください。むこうで、本当にたくさんの友人としばらくは談笑していてください。 そして落ち着いたら、下界に来て、一言コメントください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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