再出発日記

2008/12/19(金)00:36

歴史的な文書「政治の監視、市民の責任」

08読書(ノンフィクション)(25)

17日付朝日に湯浅誠氏の文章が載った。 大佛次郎論壇賞を受賞して「政治の監視、市民の責任」 これは歴史的な文章である。gooブログ検索で「湯浅誠」と叩いてみて欲しい。もう何10人ものブロガーが、立場の違いそうないろいろなブロガーが、一様にこの文章は素晴らしいと絶賛している。今まさにこの時を得て、一番本質的なことを、一番鋭く言ってくれたと思う。記録のためにもここに全文を載せたい。 今回、大変栄誉ある賞を受賞させていただいたが、率直に言って、複雑な思いがある。 『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 という本を書いて、貧困などないと言われきた日本の貧困の実態を告発し、それに抗する人々の奮闘を描いたわけだが、では状況が劇的に変化したかと言えば、大きくは変化していない。すでに大量の報道が出ているように、世界同時不況の影響で製造業の現場では「派遣切り」が横行している。単なる雇い止めを超えて、違法な予告手当なしの中途解雇も少なくない。もちろん被害は製造業非正規に止まらず、建設業・サービス業等にも波及し始めている。 私の所属するNPOもやい にも、相談者が訪れ始めている。キャノンのある工場で働く派遣労働者は、05年から偽装請負→派遣→請負とめまぐるしく雇用形態を変更させられながらも、3年以上まじめに働き続けてきたが、今月4日から待機を命じられた。期間満了を迎える25日には、あっけなく更新を拒絶され、仕事を失い寮も追い出されるのではないかと不安のどん底にある。 今回の不況「人災」 日本経済にとって、今回の米国発不況は「天災」のように言われることがある。しかし、アメリカン・スタンダードをグローバル・スタンダードと言い換えて、新自由主義的資本主義に無批判に追随してきた経営者団体、規制改革会議・経済財政諮問会議等の責任は大きく、その意味では「人災」である。にもかかわらず、反省の弁は聞こえてこない。結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ。私たちが、そんな下劣なものに引きずられる必要はない。  私たちの取るべき責任は他にある。それは、市民生活が健全に保たれるように政府・企業を監視し、法を守らせ、一人一人の命と暮らしを守る政治を行わせる、という責任である。「お金がないから仕方ない、不況だから仕方ない」と言って、結果的に弱者の命を削ることになる政策を採用しようとする政治家は、いくらでもいる。しかしそのとき、医者は「この患者を見殺しにしろと言うのか」と、介護ヘルパーは「この寝たきりのお年寄りを放置しろと言うのか」と、労働者は「今日まで一緒に働いてきたこの仲間を路上に放り出せと言うのか」と異議申し立てしなければならない。それが、市民としての責任だ。  私たちの毎日は、「この人、あの人」と名指せるような家族・友人・同僚らとの身、近な関係の中にあり、その一人が苦しんでいれば心ざわつき、死ねば悲しい。それが私たち市民の日常であり、その平凡な生活を守るのが政治の役割に他ならない。難しそうな顔をして国家財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、「この命、この生活を守れないならは、あんたは政治家失格だから退場しなさい」と言っていい。  そうするとすぐに「では財源はどうするのだ」と威嚇されることがある。2年前まで、私たちにとって「埋蔵金」など存在しなかった。しかしそれが「ある」ということになった。私たちに真実は伝えられておらず、したがって正確な判断もできない。それは私たちの責任ではない。「財源問題は、すべてがきちんと整理されて公開してくれるなら検討しますよ」と答えればよく、そんな威嚇にひるむ必要はない。 主権は民にある  結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う。自らの責任を棚上げしたところでの自己責任論や、情報公開なき財政危機論で黙らせられる、と見くびられてきた。私たちに責任があるとしたら、そこにこそ責任がある。私たちは、どんな悪政にも黙って付き従う羊の群れではない、と示さなけれはならない。政権を担う人たちには、.私たちを恐れてもらわなければいけない。  そのとき初めて社会は健全となり、悪化し続けてきた世の中に、折り返し点がもたらされるだろう。主権は民に在る。私たちはもう一度、その原点を思い起こすべきだ。 「結局、自己責任論とは、自己責任を棚上げする人たちが主張していたものなのだ」「あんたは政治家失格だから退場しなさい、と言っていい」「結局、私たちはナメられてきたのだ、と思う」この言葉に多くの人が、目を覚まさせられ、勇気付けられている。   私は既に岩波新書「反貧困」については二回引用して記事にした。(「自己責任論」批判あるいは「反貧困」   「反貧困」あるいはなぜセーフティネットが必要か )または湯浅氏の講演をじかに聴いて、この人こそ現代の思想家にふさわしいと私の中で位置づけた。大佛次郎論壇賞の受賞むべなるかな。 昨夜NHKスペシャル「セーフティーネット・クライシス2 非正規労働者を守れるか」の再放送を見た。内容の紹介は薔薇豪城さんが既にしているので割愛するが、大村厚生労働副大臣が「教育への投資はすぐに成果が出ない、ということで潰されてきた」と言い訳をしたとき、湯浅誠氏がすかさず「誰が潰してきたんですか」と突っ込んだのに対して、大村氏は全く同じことをいってそれに答えなかった。これはひとり大村某の問題ではなく、まさに「自己責任を棚上げする」人たちの問題である。そして主語を持たなくても成立する日本の「土着文化」の問題でもある。(加藤周一の問題意識)

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