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カテゴリ:洋画(09~)
米国アカデミー賞外国映画部門で「おくりびと」が受賞した。こんぐらっちゅれいしょん!素直に喜びたい。前々回で日本アカデミー賞独占で厳しいことを書いたけれども、それはそれ!(^_^;)イヤ全然矛盾はしていません。
「おくりびと」の何が評価されたのか。それを考えると、おめでとう!と心から言いたい。同時受賞の短篇アニメ「つみきのいえ」が象徴的にそれを表していると思う。 大げさな事件が起きるわけではない、日常をたいせつにする、「今=ここ」を大事にする、彼岸(神の世界)ではなく此岸(現実の世界)をたいせつにする、だからこそ「手作り」をたいせつにする、だからこそ細部を丁寧に作る、大げさに言うと、そういう日本映画の「水準」が評価されたのだと思う。 「つみきのいえ」はCG全開の映画の中で、鉛筆画の手作りで作られ、日常の延長の中で「人生」を感じるものであった(らしい)。「おくりびと」も納棺師の仕事は別に道具が要るわけではない。本木さんの半年間に渡る「勤勉」な修行の賜物による手作り感溢れる作品なのである。作品感想のときに書いたが、脚本はあまりにもオーソドックス、それが映画のプロに認められるのか、それだけが不安であったが、その「型にはまった」ところがもしかしたらよかったのかもしれない。(オーソドックスとは、「死」のテーマに「笑い」と「食べ物」を入れるところ、妻や世間の偏見(想像)を仕事(実見)が駆逐するところ、父と息子の和解の場面等々、教科書的で破綻が見られないというところ) 多かれ少なかれ、日本映画にはこういう話が多い。その多くは中途半端だったり、物語が破綻していたり、役者の力量不足だったりするけど‥‥‥。ともかく、こういう映画が世界最高の栄誉を撮るとすれば、やはり日本映画にとっては大変喜ばしいことではある。 13部門でノミネートされた「ベンジャミンバトン」は実は「日常」をたいせつにする話であった。しかし、使われていたのは役者の演技の上塗りにCGを使うことだった。細部も丁寧には描いているが、結果的に終わりと始めが決まっている「全体」が重視された話になった。アカデミー会員たちはたぶんそのあたりに「退屈」さを感じたのではないだろうか。 私は日本アカデミー賞は信頼していないけれども、米国アカデミー賞は信頼している。その受賞歴がその証だ。よっぽどのことがない限り、主要七部門独占ということはない。その秘密の一端が今日ネットサーフィンしていると見つかった。 会員たちはどんな活動を? どう選ぶ? 2009年は……!? あるアカデミー会員の“胸の内” 1票のゆくえを追って、直撃インタビュー これを読むと、投票権を持つアカデミー会員たちはその資格を得るのも難しいし、本当に献身的に365日映画を見続けないと投票できない。本当に「映画好き」な人間しか会員として続けられないことが分る。 その人たちが選んだ「スラムドック$ミリオネア」期待したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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