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カテゴリ:読書(09~ノンフィクション)
四方田犬彦氏の『白土三平論』を読み終えました。
白土三平論 ほぼすべての白土作品に付いて、その粗筋を述べて言及するというかなりの労作です。この本が出るまで、白土三平自身に付いての作家論が無かったことを考えれば、この本がこれからの白土論の基点になることは間違いないでしょう。 実は恥ずかしながら、私の大学での専攻は日本思想史だということはかつて述べたことはあるし、(作文みたいな)卒業論文は中江兆民だったということも述べましたが、卒論テーマを決めるとき、もうひとつの候補は白土三平でした、とここで告白します。 その頃、手塚治虫のように作品ごとにまったく違ったテーマに挑むのではなく、白土三平は当時既に神話伝説シリーズが始まっていたのですが、そこでも一貫してかつてでてきたテーマが繰り返し現れているのを感じていました。例えば一度死んだ人間が復活するというテーマ。(『忍者武芸長』『カムイ伝』)例えば人間界の秩序が自然によって覆されるというテーマ(『赤目』)、其の他繰り返し描かれる支配されるものと支配すものの相克、父親と子供の関係、仲間と裏切りの関係、それらの特徴を過去の漫画を収集分類することによって明らかにできないかと担当教授に言うと、『それは面白いですね』一応の賛意を示してくれたのにもかかわらず、あまりにも収集が難しいことに気がつき、挫折したわけです。 四方田氏は白土三平の原点は少年時における信州上田の疎開体験にあったと書いている。ここで、『アカの子供』(父親岡本唐貴はプロレタリア画家)であることをひた隠しにしながら陰湿な差別に耐える体験をしたことと、上田の自然に親しんだこと、信州真田家の歴史を知ったことがのちに大きな影響を与えたことを書いています。その指摘は重要です。 この本はそういう意味では非常の貴重な本です。ただ、粗筋を追うことに情熱を注いでいるために、分析が通り一遍で終わっているところが多々あります。とくに1988年から始まった『カムイ伝・第2部』に関しては、今までのテーマとの関連含めて全く言及で来ていない。歴史的評価はこれからということなのかもしれないが、残念である。 四方氏はやがて描かれるかもしれない第三部に対する期待に言及するとともに、以下のようなことも書いて、この長編が未完に終わる予感みたいなものも書いています。この本を読むと、白土三平の作品は、決して独りでは書くことができずにかならず過去には小島剛夕、最近では弟の岡本鉄二等の赤目プロ集団での力が必要であることがよく分ります。第二部での挫折は四方田氏は末弟で赤目プロマネージャーだった岡本真氏の急逝だったのではないか言っています。白土三平氏自身も今年で既に77歳、身体は元気でもなかなかこの大長編の終わりを作るのは大変なのかもしれません。 白土三平論は加藤周一論と並んで、私の人生での宿題です。『鬼泪』における「女星」の意味、「サバンナ」における怪物の意味、岡本唐貴との関係に付いてはいずれ語りたいけれども、今はその準備ができていない。 (312p) 既に記したように、『第2部』は2000年4月10日号の『ビックコミック』誌において中絶している。この後、正助や崎山治朗衛門、熊沢蕃山らが共同で行うことになる椿沼の干拓や新港の建設が、どのような展開を見せるのか。長崎で医学を学んだ竜之進が、その後とのように活躍するのか。また抜け忍カムイが社会にどのように自己投企を行なうのか。残念ながら我々はまだそれを知ることができない。 だかぽっかり開かれた空洞でもって『第2部』が凍結されていること自体が、ある意味で永遠に未完結な物語の本質を指し示しているといえなくもない。文学史を紐解いてみると、ノヴァーリスの『青い花』から中里介山の『大菩薩峠』まで、文学には未完であることが本質であるかのような、巨大な規模を持った作品がしばしば出現している。おそらく後世は白土の『カムイ伝』をも、その範疇において理解することだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月14日 11時02分05秒
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