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2010年07月24日
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カテゴリ:平和運動

この春、水島のなりたちと亀島山地下工場(吉備人出版)という本が出た。亀島山地下工場については五年前に一度記事にしたことがある。それ以降「亀島山地下工場を語りつぐ会」は地道に調査を行い、こんな立派な本を上梓したというわけだ。亀島山地下工場については、以下の碑の写真にある文章を参照ください。(倉敷市が作った碑なので朝鮮人強制労働に付いては言及していない)
09亀島山地下工場の碑.JPG

考古学者を動員して文献だけで確認していた地下工場を実測調査、また周囲にあった大戦下の砲台跡も戦争遺跡として学術調査をした。文献を発掘して、水島という町並びその周辺施設が「戦争のために」たった数年で「国家事業として」「作られた」ということを明らかにしている。いままであった亀島地下工場の啓蒙本とは一線を画した素晴らしい内容の本です。

14連島砲台.JPG
まずは連島砲台に行きました。この写真で鉄塔の下辺りに砲台があるそうです。行ってみましたが、みかん畑の中に埋もれていたり、ジャングルのような藪の中に埋もれていたりして、ついに見つけることはできませんでした。けれども大体の場所は特定できました。戦争遺跡でも、弥生遺跡でもそうですが、たとえ古墳のような目に見える遺跡がそこに無くても、遺跡の場所に立つということは非常に意義のあることなのです。どういうことかというと、たとえばそこからこのような情景が見えます。
02亀島山遠望.JPG

正面にあるのが、亀島山です。その向こうにあるのが、水島工業地帯。現代は川崎製鉄やさまざまな化学工場が乱立していて、始終パイプラインと高い煙突が、光や煙を出しています。戦争当時は亀島山の向こう側には、三菱水島航空製作所がありました。国家戦略上、非常に重要な工場をじつに1940年になって急遽つくったらしい。ここは本当に見晴らしのいい場所なのです。砲台はここに九十度、五台設置されました。

06高梁川.JPG
西には高梁川が流れ、その向こうには瀬戸内の島々が霞んでいます。

東には岡山倉敷方面の山々が見え、街はさすがに見えませんが、遠くまで見渡せます。「敵の飛行機をここで迎え撃つ」その意思が65年を経て、ダイレクトに伝わってきました。場所は老人施設「太陽の丘」のすぐ下のみかん畑です。砲台はここのほか、玉島にも設置されたようです。

1945年6月22日、B29、113機の爆弾攻撃がありました。水島空襲です。そして、ここから反撃がなされたようではあるが結局「ひとつも当たらぬ」と証言があるのです。水島製作所は壊滅的な被害を受けました。(もっともそのための亀島山地下工場ではあった)戦時下の日本の軍隊はそれなりに一生懸命で、私の親たちも一生懸命それに応えていたようですが、結局あまり有効な戦闘はできずに終わりました。どれほどの性能の高射砲があったのかは知りませんが、やっぱり相手の「武力」が見えていなかったのです。

この本を読んでびっくりしたことがあります。現在碁盤の目のように道路が交差している水島の町々、そして連島砲台の近く、現在の矢柄地区にも昔ながらの平屋がまるで碁盤の目のように建っています。この町はなんと計画が立てられて、一年ほどで強制的に土地の買収撤去がなされ、1942年から2年ほどで数千人が住む工業団地が出来上がったというのです。国が水島に飛行機工場を作るために突貫工事で作らせたのである。

確かに水島春日町、弥生町、そして連島矢柄の住宅は社宅街の原形を今もとどめている。(いずれも子供のころの遊び場だった)1942年の地図がある。(「連島都市計画土地区画整理」が内閣の認可を得て縦覧された図面)見ると、その辺りは全く田んぼなのである。それが数年後に忽然と町ができる。「国家事業としての戦争」というものの力をまざまざと見せ付けられた。

現代、これは決して過去の話ではない。まだ一度も発動されていないが、すでに「国民保護法」という法律ができている。これは、非常時には、国家の命令で道をつくるのに邪魔であれば、家をも「撤去」できるのである。

22日の平和行進で水島の町と連島の町を歩いた。人が住み出せば、そこに商店街が生まれ、病院が生まれる。あれから70年近くたって、みんなが平和を望んでいる。





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最終更新日  2010年07月24日 10時43分13秒
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