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2010年11月25日
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「武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新」磯田道史 新潮新書

今年の正月映画になるというので、読んでみたのだが、大変面白かった。もう6年も前の新書だけれども、ベストセラーという言葉に反発して読んでいなかったことを後悔した。磯田氏は岡山市生まれということで、今まで何回も学習講演に来ているのである。一度お話を聞いておけばよかった。

常に現代の視点から、そして和文や史学常識の無い庶民の視点から書いている。いまどき珍しい学者なのである。

いくつか面白いと思ったところを抜き書きしたい。

「なぜ明治維新は武士の領地権を廃止できたのか。」という興味深い質問に対して明確に答えている。いやあ、こんな根本的な問題について、武士の具体的なデータが揃っていなかったこと事態に私はびっくりした。答えは簡単で、「江戸時代の武士にとって、領地とは、まず「石高」の数字であってリアルな「土地」を必ずしも意味するものではない、ということである。」「本来、武士が領地を支配するには、次のようなことをしなければならない。まず直接領地に行って農作を励ます(1、勧農)。もし領地で事件・訴訟がおきれば処断・裁決する(2、裁判)。そして、秋になれば、田畑の様子を観察して、いくら年貢を取るか、つまり租率を決定する(3、租率決定)。そして現実に年貢を取る(4、年貢収納)。」「戦国時代にならば支配システムでもよいが、世の中が平和になって、零細農民が精密な農業をする江戸時代になると時代に合わない。」「(これを藩士の代わりに藩がする)官僚機構こそ、加賀藩の場合、何を隠そう「御算用場」であった。」「江戸時代の藩官僚の行政能力は、見事なまでに、明治国家に移植されていくのである。「蔵米知行」の制度が確立すると、領主は全く領民の顔を見ることも無く、年貢を取ることができる。」「これが日本の「封建制」の実態であった。領主と土地のつながりが極限まで弱められた領主制とまでは言わないが、近世日本の領主制はヨーロッパなどの感覚で言えば、とても封建制といえるものではなかった。」「現実の土地から切り離された領主権は弱いものであり、トップダウンの命令ひとつで比較的容易に解体されたのである。しかし、武士の領主権が現実の土地と結びついていた鹿児島藩などでは、そうはいかない。西南戦争など激烈な「士族反乱」を経験しなければならなかった。」
日本の仕事組織がトップダウンの命令に弱い秘密もここにあるのかもしれない。

 猪山家でもっとも収入が多いのは直之であったが、彼のお小遣いは信じられないほど少ない。年間わずか19匁である。この年は閏月があって1年13ヶ月であったから、月々約5840円であったことになる。悲惨というほか無い。
 確かに直之は加賀百万石を担うエリート官僚であり、草履取りを連れて外出する身分であった。しかし家来の草履取りのほうが、むしろフトコロはゆたかであった。草履取りは食事と衣服が保障されている上、年に給銀83匁と月々50文(2050円kuma注)の小遣いをもらっていた。それだけでなく、年3回のご祝儀があり、どこかに使いに出るたびに15文の現金収入があったのである。しょっちゅう人前で土下座をし、つらい家事労働をしなければならなかったが、親元に帰れば田畑もあったし、いかに主人が金を持っていなかったかはよく知っていたはずである。
 
 これは本当に悲惨です。ちなみにおばば、妻にも小遣いはあった。

 武士の俸禄が米で支給されたのは建前であって、実際に武家屋敷に持ち込まれたのは、ほとんどが銀であった。(実際は銀札。関西は銀、関東は小判だったらしいKUMA注)
 猪山家は一年間に27回も貨幣の両替をしている。サムライは金勘定をしないイメージがあるが、そうではない。生活が米の換算レートに左右されていたから相場にも金融にも鋭い目をもっていた。
 決済回数で言えば圧倒的に銭使いの機会が多かった。銀は借金返済や頼母子講などの金融関係や、お布施や初尾などに使われるだけで、日用品の購入には使用されていない


映画のチラシに使われている「絵に描いた鯛」は長女のお熊の「髪置祝い」(2歳の子供の長寿と健康を祝う儀式)に使われている。子供に白髪のかつらをかぶせるという。はたして、映画ではどう描くか。ちなみに直之の長男成之の時にはもっと豪華になる。倹約しているが、かなりの出費になったようだ。
成之の出産総費用
着帯から七夜(初七日)まで銀108匁(約40万円)、このほかお披露目用の絹の産着等で合計158匁(約60万円)。産婆・医者・鍼灸医への謝礼23%、薬代4%、供応費20%、出産費用21%、産着代32%。ところが、このうち半分以上支払ったのは、妻の実家だったらしい。妻の実家は嫁に行った後でも、予想以上に経済援助をしていた。


配達便は案外安い。金沢から江戸まで小包が5000円、書簡は700円くらいだったらしい。何かに便乗させたのか。

成之は初任給を父母にささげている。一銭たりとも手をつけた形跡なし。さすがに武士の子「孝子」である。

明治維新になって多くの士族がリストラされた。武士の商法はほんとうに失敗ばかりだったらしい。

直之の親戚でそれまで町人の妻になった娘は一人もいなかったのに、明治五年にはその結婚に異を唱えてはいない。「右様の縁談、当時流行の由」と書いている。この59歳の男、たった2-3年で武士の考えをけろりと変えている。この前後に彼の家では牛鍋も食べている。この変わり身の早さ。

海軍に出仕できた猪山家のような家は、年収が今の感覚で3600万円にもなる。対して官員になれなかった士族はわずか150万円ほどである。これが士族にとっての明治維新の現実であった。新政府を樹立した人々は、お手盛りで超高給をもらう仕組みをつくって、さんざん利を得たのである。官僚が税金から自分の利益を得るため、好き勝手に制度をつくり、それに対して国民がチェックできないというこの国の病理はすでに、このころに始まっている。
ここは大変重要な指摘である。

家督は成之にゆずって既に隠居のみの直之であるが、明治五年9月25日、鉄道開業のニュースを聞き、自分が時代の遺物になったことを悟る。新政府の目指すものが、鉄道開業に代表される文明開化であり、これには莫大な予算がかかること、そのため、安然として何もしない士族の家禄は削減されざるを得ないこと、悟ったのである。
…と著者は書いている。もう少し直之の「新政府」観を見ていこう。
太陽暦が導入された明治六年正月になると「今、一両年のうちには、まるでヨウロッパ同様に相成るべく候。さだめて上(政府)には華士族も廃し、四民同体となし、米屋も廃し、麦作のみにてパンを食わし、」と(日記に)書き、もう何が起きても不思議でない、と思うようになっていた。
直之は「廃禄の説は新聞紙にも数度論もあり」もはや「天下の人心」が士族の家禄廃止を支持していると正確に認識していた。
しかし、その一方で、士族の「活計の道も立てずして、廃禄に」追いやるのは、皇国の「万民保安の御趣意」に反する(明治6・5・29)と考えていたのであった。

…もうこのときから、直之に代表される都市無党派はマスコミによって世論を知り、そしてそれに流されて「仕方ない」と思い、それでも心のうちに「正論」を呟く、という現代の「型」ができているのに、私はただただ驚く。






最終更新日  2010年11月25日 22時42分20秒
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