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カテゴリ:日本平和大会
2日目です。
12月4日(土)晴れ ![]() 朝の散歩、米軍基地は白い建物にさえぎられて良く分からず。いつも工事をしていて、いつも強化されているということだけは分かる。 ![]() 分科会は「韓国併合100年 東アジアへの植民地支配と武力侵略への戦後補償の完全な清算を」というのに参加した。も少し現代情勢をするのかと思ったら、歴史の学習と戦後補償問題をしたので少し肩透かし。まあ、勉強にはなった。 ![]() 全体集会の海上に行く前に、海軍自衛隊基地の前を通る。掃海母艦がいた。海の地雷を除去する掃海艇は非常に小型(木造)のため、それを統括する母艦が必要なわけです。 ![]() 全体集会の海上前ではちょうど佐世保の海産物まつりをしていた。私の知らない海産物が山のようにある。鯨も売っていたし、飛魚(あご)も雲丹(ウニ)も安く売っているる。「昔懐かしいえび風味」という表示のふりかけも売っていたので、味見してみると、大変美味しい。マス二つで500円、買ってしまいました。 ![]() 全体集会では山崎さんの訴えがあった。岩国の平和大会で、勇気を持って初めて発言した山崎さんの戦いはこの四年で大きな前進を見せた。裁判では初めて「米軍、政府の管理監督責任がある」ことを認めたのである。しかし、これは一般的な責任であって山崎の奥さんを殺した米兵のそれは認めていない、さらに戦うという力強い決意表明があった。この戦いは今まで泣き寝入りが多かった横須賀の市民を大きく励ましている。このあと、三名が裁判闘争に立ち上がった。そして、三名が泣き寝入りをしないと事実を公表している。さらには、米軍は毎年「住民との交流」を掲げて基地解放日に祭りをしているが、今年は遂にはいつも飛んでいる特別機は飛ばなくなったらしい。その背景には、最盛期には7.5万人を数えた来場者が二万人のなったこと上げられているらしい。それはすなわち、この間の戦いの反映でもある。駅前の街頭宣伝で「私の妻が米兵にお金目当てで殺された」と言っている横で開放祭りにはなかなか行けないだろう。 ![]() 徳之島の町長の発言も感動的だった。 徳之島はご存知のごとく、鳩山元首相が「腹案」で普天間基地移設地に「勝手に」計画していたところである。町長は今年初めまで基地問題に対してほとんど知識がなかったそうだ。今年の1月25日、「首相官邸に来てほしい」と突然の連絡。3000メートルの滑走路を作りたい、と持ちかけられたそうである。「そうでなくても過疎化の進む町なのだから基地誘致は歓迎だ」という人はもちろんいたらしい。しかし一方で「基地被害で泣き寝入りする人がいる。米兵が来たら環境が激変する」ということも分かりだす。農業と観光で生きていこうと決めたばかり。町長は反対集会を計画する。その集会になんと1.5万人町民が来たのである。これは島のなかの「歩ける人」は全員来たことを意味する。島の人たちの中に眠っていた「戦争は間違っている」という気持ちが爆発した。政府から電話があったそうだ。「本当は6千人だったんでしょ」もう会う必要はない、と町長は判断した。「国にたいして一町長が反対したら大変なことになるのではないか」という意見もあった。しかし、町長は言う。 「しかし、大きな民意があった。最大の抑止力は民意である。」
最終更新日
2010年12月07日 23時14分34秒
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