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2010年12月16日
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「ヒロシマ-壁に残された伝言」井上恭介 集英社新書
古本屋で手に取った一冊。2003年発行だから、今はおそらく絶版になっているだろう。新書は回転が速い。全くの玉石混交で、中には良書もあるのだが、その多くも出版の波の中で埋もれることが多いだろうとは想像できる。この本はそういう良書の一冊ではないだろうか。

広島市袋町小学校の剥げ落ちた壁の奥に、白墨で書かれた伝言が見つかった。NHK広島放送局の著者は被災者の救護所として使用されたここに伝言を残した人、あるいはその対象、家族を訪ね歩く。半世紀の時を越えて、ほとんど意味の分からなそうな伝言を家族が見たとき、彼らはいとも簡単にそのかすれた文字を読み、「ああそうだったのか」とつぶやいたそうだ。「書家でもなければ芸術家でもない人が書いた、しかもただ人を探すという目的のために書いた、文章ともいえない文字が、人の心をこんなにも揺さぶるのか」と著者は書く。

あの日、まさに地獄の広島で必死で家族を探した日々。家族はやすやすと「これみてごらん、お母さんの字じゃ」と判じ、「おかあさん、よう書いたねえ」「みんな仲良うせいということじゃ」と呟く。

あるいは、見つかった文字から生前の父の言葉を思い出し、自分を奮い立たせた人もいた。<患者村上>伝言ともいえないような一言に、発見当初は関係者を見つけるのは難しいだろうと思われた一言に、思いもかけずすぐに娘さんが名乗りを上げる。当事八歳、しかし彼女は当時の国民学校と母親の様子を鮮明に覚えている。父親が当時のことを書いた遺書を書いていたからだ。村上敏夫。この救護所で全身ガラスまみれ、片目は飛びたして胸まで垂れ下がっていた妻を看病しながら、市役所職員の彼は昼は市内を飛び回っていた。彼は昭和22年8月6日の第一回平和祭で、市長が読み上げる初の平和宣言の草稿を書いた人である。当時はアメリカの統治下であり、投獄はもちろん、命も保証の限りではないと考えていたという。そのとき書いた遺書を繰り返し読んで平和の語り部として生きた村上啓子さんは、すぐにこの文字の意味を悟った。片目を失い、全身に傷を受けていた母親の姿は、良く知る人が見ても誰か分からないほどだった。だから柱に名前を書いたのではないか。村上さんはその文字の前で泣き崩れる。そしてその後、村上さんはニューヨークに行き、9.11テロの遺族に被爆者として会いに行く市民団体の一人となる。

伝言は一部保存されて「袋町小学校平和資料館」になった。2005年の夏、私はもしかしたらそこを訪ねたかもしれない。全く覚えていない。

平和を求めるには、想像力が必要である。私は改めてそのことを思う。






最終更新日  2010年12月16日 09時21分05秒
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