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カテゴリ:邦画(11~)
原作は昭和48年から平成4年にかけての、いわば昭和後期を描ききった大河ドラマだった。もちろんひとつの質屋の店主殺人事件を巡る主人公二人の闇の19年を描くのが縦糸だったから、それが中心となるけれども、ドキドキしながら読んだのは私にとってはその横糸の部分、つまり昭和の歴史だった。
今回の映画化に関しては、当然ながら私なりのイメージはある。そもそも小説読みは、その多くは頭の中で映画化しながら読んでいるようなものである。優れた小説ほどそうなる。 監督 深川栄洋 出演 堀北真希 (唐沢雪穂) 高良健吾 (桐原亮司) 船越英一郎 (笹垣潤三) 戸田恵子 (桐原弥生子) 田中哲司 (松浦勇) 私的に映画鑑賞でのポイントは三つ。 どれだけ昭和の風俗を描ききるか。電話ボックスの変遷など、確かに幾つかのポイントは抑えてはいるが、この映画はなぜか物語の初めを昭和55年に移している。昭和そのものを描くのを避けたような気がしてならない。背景はたんに矛盾さえなければいいというふうになっている。昭和の風俗の美術に少しも緊張感がなかった。何のための映画なのか。これならば、テレビドラマと一緒ではないか。 ポイント二つ目。 主人公二人の内面描写が一切ないのが原作の魅力なのであるが、映画にした場合は雪穂の犠牲になっていく脇役の俳優も客観描写になってしまう。だからなのだろう、脇役は心情吐露の場面が必ずあった。しかし亮司と栗田麗の絡みはもっときちんと描くべきだった。あそこが、亮司にとって人間になれるかどうかの分岐点だったはずだ。残念ながら、その分岐点を描けていない。 ポイント三つ目。 笹垣刑事の役割は重要である。二人を一番理解しようとしたのは笹垣刑事だからである。刑事が雪穂を理解できなかったのはわかる。そもそも理解できるようには作られていない。しかし、笹垣刑事は亮司は理解しようとした。あの「映像」ではとうてい亮司を理解できたとは思えない。刑事は原作にはない言葉「私にお前の面倒を見させてくれないか」をあの重要な場面で亮司にかける。私には「嘘も方便」だとしか聞こえなかった。亮司があのような行動をするのも当然である。刑事の視線はわれわれの視線である。結局「白夜」の意味も、「太陽」の意味も、表層的なものしかわれわれに伝わってこない。 残念ながらというか幸いにというか、この映画は98年で終わるために、続編「幻夜」に結びつくための最大の仕掛け(神戸の震災)が使えない。よって、この映画に続編はない。はずである。それはこの映画にとってはいいことのはずだ。堀北真希はがんばってはいた。出来たら濡れ場を演じてほしかった。そうしたら、目的のためには手段を選ばないのだということがもう少し強調されただろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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