再出発日記

2011/04/30(土)22:41

金庚信将軍の末裔に逢う 韓旅9-4(慶州、大邸)

韓国旅行(09~)(84)

国立博物館からバスセンターに戻る。大邸(テグ)市に移動のためだ。移動時間二時間、出発の時には明るかった景色が着いた時には真っ暗になっていた。しかしその時間はあっという間に過ぎた。隣り合った若い男性に「大邸にはどれくらいで着きますか」と聞いたことからずっと話をして途切れることがなかったからである。 お互いに片言の語彙しかもっていなくて、暗い中で辞書を時々引きながらの日本語韓国語チャンポンの会話になった。時間をかけて、自己紹介や旅の目的や仕事のことなど、興味を持っていることを話していったのである。 細面で少し小柄の優しい面立ちの青年でした。 キムさんといいます。 彼は29歳。現在、小学校の臨時教師をしているのだという。今回は大邸で5日後に教師採用試験があるので、その準備と勉強のために大邸に向っているのだという。住所は慶州市にある。 「(小学校の仕事は)疲れますか?」 「オモシロイ」 彼は日本語で静かに言った。子供に囲まれて優しく教える彼の姿が目に浮かんだ。 けれども彼が本当にめざすのは、社会科の中学校の先生なのである。臨時教師では安定した職業ではないのだろう。非正規が全労働者の6割近くを占める韓国社会の断面がここにもある。とっても真面目で勉強熱心。試験のことに関係するのでもないのに、日本語の会話をとても楽しんでいるさまに好感を持ったのでした。 話は私の遺跡めぐりのことに移る。キムさんは金海金氏の系統である。遠くまでたどれば、慶州の偉人、統一新羅の立役者金庚信(キムユシン)将軍まで辿れるのだという。日本で祖先は清和源氏だと聞くと眉唾モノであるが、族譜の継承が命より大切な韓国の場合は十分にありうることだろう。 「それはすごいですね」 「アニエヨ!(そんな事はないです)」 自分から言っておきながら、ひどく照れていた。まあ、実際は慶州市内には金庚信の子孫は山のように存在するのかもしれない。彼にしてみれば、言っては見たものの日本人に素直に驚かれたのは意外だったのかもしれない。けれども彼の歴史好きは、このアイデンティティにもあるのかもしれない。 それはそうと……、私はこの旅で感じたことをいって見る。 「韓国は博物館も立派で、野外教育も熱心で、日本とは違う。すごい」 「……わたしの考えですが、韓国の教育水準は日本より低い」 彼は断固とした感じでこのように言い、この点では私と大きく意見が分かれた。私は「ハジマン……(いや、違う)」と言い、彼も「いや違う」と言う。彼なりに韓国の教育政策に不満があるのかもしれない。しかしそこまで突っ込んだ話はできなかった。 「楽しい時間だった」ということで、お互いにメール交換をしたのであるが、実はそのメモ用紙を旅の後半で落としてしまった私でした。彼からの連絡はまだない。 泊まりは東大邸のロイヤルパークモーテルへ。古いモーテルなので設備面はいまいちだったけど、一泊三万Wと安かったし、女将さんは気さくな人だったので満足でした。 夕食はともかくもマッコリが飲みたかったので、それがメニューにあるところを探してしばらく歩く。しかしマッコリは市販のビンが出できたので味はイマイチだった。 料理はヘジャンク(豚の骨付き鍋)です。ここでまた副食に青唐辛子が出てきた。味噌をつけて食べる。金海と同じである。慶州と蔚山は副食が多く、金海より遠く離れた大邸で同じ副食が出る。つまり、大邸は加耶地域であり、慶州、蔚山は新羅地域であるということなのだろう。1500年前の地域割りがまだ食事の伝統に受け継がれているのではないか。これは私の仮説である。 バス1,000 朝食2,000 コインロッカー1,000 バス1,000 バス1,000 昼食6,000 バス1,500 博物館2,000 バス1,000 慶州→大邸5,900 宿30,000 夕食9,500 計  61,900W 歩数 16103歩

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