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カテゴリ:邦画(12~)
この前映画館に行くと、ますむらひろしの絵による宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」映画のチラシがあった。なるほど、と思う。確かに今こそこの名作を映画化すべき秋(とき)である。 ある日おとうさんは、じっと頭をかかえて、いつまでもいつまでも考えていましたが、にわかに起きあがって、 「おれは森へ行って遊んでくるぞ。」と言いながら、よろよろ家を出て行きましたが、まっくらになっても帰って来ませんでした。二人がおかあさんに、おとうさんはどうしたろうときいても、おかあさんはだまって二人の顔を見ているばかりでした。 次の日の晩方になって、森がもう黒く見えるころ、おかあさんはにわかに立って、炉に榾ほだをたくさんくべて家じゅうすっかり明るくしました。それから、わたしはおとうさんをさがしに行くから、お前たちはうちにいてあの戸棚とだなにある粉を二人ですこしずつたべなさいと言って、やっぱりよろよろ家を出て行きました。二人が泣いてあとから追って行きますと、おかあさんはふり向いて、 「なんたらいうことをきかないこどもらだ。」としかるように言いました。 そしてまるで足早に、つまずきながら森へはいってしまいました。二人は何べんも行ったり来たりして、そこらを泣いて回りました。とうとうこらえ切れなくなって、まっくらな森の中へはいって、いつかのホップの門のあたりや、わき水のあるあたりをあちこちうろうろ歩きながら、おかあさんを一晩呼びました。森の木の間からは、星がちらちら何か言うようにひかり、鳥はたびたびおどろいたように暗やみの中を飛びましたけれども、どこからも人の声はしませんでした。とうとう二人はぼんやり家へ帰って中へはいりますと、まるで死んだように眠ってしまいました。 (青空文庫より。以下引用は全て同じ) 「グスコーブドリの伝記」は、このどうしようもないリアルな「貧困家庭の悲劇」の場面から始まる。少年の時や、まだ世の中のことをあまり知らなかった青二才の頃は、ブドリの視点で物語を読んでいるので、両親の気持ちはまだよくわかっていなかった。「そうは言っても、なにもせずにほっておくなんて」などと思っていたかもしれない。 この描写の少し前では、 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽ひく音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩やまばとの鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。 等々と、ささやかだけと幸せな描写がしっかり描かれているのである。それが一回の気象異常で、ブドリの家族はすべり台を落ちる様に病気も治せず飢餓状態に陥るまでになってしまう。両親を責めることは出来ない。せめて子供を道連れにしなかったことを良しとしなければならない。 この作品では、イーハトーヴの世界がおそらく1番細かに描かれている。ますむらひろしの絵では、岩手県の形をした全体地図まで描かれていた。 イーハトーヴは農業国である。しかも、気候を調整して雨を降らす技術まで発達している。その機械の作業を雲の上でしている描写のなんと神秘的で美しいことか。 イーハトーヴがどの様に描かれるか、あの雲をどの様に描かれているか、映画ならではの楽しみはあるのである。 構想7年と書いていたから、脚本段階で大震災はまるきり頭にはなかっただろう。しかし、内容を賢治の世界を忠実に再現するものにすれば、それはそのまま現代に対する素晴らしいメッセージになるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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