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カテゴリ:社会時評
録画していたNHKアーカイブス「チッソ・水俣工場技術者たちの告白」(1995)を見た。フクシマとの類似性を正面から見る、いい番組だった。
チッソは朝鮮での繁栄にこだわり、ダムを作り発電所作りにこだわる。それが失敗し、借金が残る。その頃海に異変がおきる。 昭和31年奇病の発見。患者のほとんどは漁民とその家族。「工場が疑わしい。僕らは思いました。」当時の附属病院の医師が言う。 海の異変を工場長に伝える。水俣工場新聞は云う。「チッソはドル箱、市の税金のほとんどはチッソが出している」工場長は海の異変を見ても無視。「アセトアルデフトについては、注目したが、戦前から使っている。今更異変が起きるはずが無い」西田工場長(天皇という異名)は、排水を流し続ける。突然、排水口を変更、不知火海全体に広がる。更に生産を広げる。昭和34年、一挙に社会問題に。熊本大学の有機水銀説を発表したのである。チッソは反論。「原因はいろいろある」しかし、技術部の中にチッソが原因だと確信していた人もいた。アセトアルデヒドを作る過程で、有機水銀が出来ることを証明していた。昭和26年の技術者の改善策を会社は取らなかった。その塩出さんは、それ以上声をあげることはなかった。 昭和34年ごろ、附属病院はネコ実験で、水俣病の原因を確信していた。西田工場長は本格的反論を考えていた。ネコ実験を心配して黙る様に要請する。「まだ実験は一例のみ。」と、。附属病院の医師は「それは正しかった。」反論は海軍爆薬説を持ち出した。しかし、証拠は見つけ出せない。医師はその後はネコ実験を続ける。あまり大きな症例が見られない。証拠として公表されなかった。医師は「ホッとしました」という。後にこれは水俣病の症例だったと証明される。 水俣の漁協以外は生活の死活問題として、工場排水を続ける様に要請。漁民は30万円のお見舞い金で黙らせる。 官僚は言う。「あの頃、止めろと言われて、はっきり言って止めれなかったね」 新人技術者が微量の有機水銀の検出に成功する。昭和36年暮れ、メチル水銀の検出に成功。上司に言う。「冷静に受け止めていた」上司は公表は考えなかった。「魚に残ることと立証しないといけない」チッソ労働争議が起きる。新人技術者は工場をさる。研究は幻になる。技術部長は「(研究の総括について)むつかしい質問」。官僚「高度経済成長の真っ最中。産業性善説、謝るしか無い。確信犯だね。こう云う事言うと怒られるけど」 S48裁判。地裁の判決。 西田工場長の死は、秘められた。戒名もつけられなかった。「責めは全部自分が負う」といったらしい。東電会長よりもいいけど、なんだかなあという感じもする。 ナレーション「高度経済成長に酔いしれていた日本の姿だった」番組終わり。 「はずが無い」「そうで欲しく無い」という事が被害を大きくした。組織の論理、経済の成長にマイナスになることは避けようという構造は、今も続いている。と、アーカイブスを見た姜尚中さんは、云う。 今年7月末で、患者認定の申し込みを締め切る。「210万円を差し上げるが、生活保護は打ち切り。おかしいのでは無いか」医師でこの前亡くなった原田正純さん「水俣で失敗したことを活かそう。放射能の健康被害は一般の健康被害と同じ。水俣よりむつかしい。水俣は殺人事件。事件の記憶が消えないことを願っています」姜尚中さん、「教訓は、自然は変えられない。しかし社会は変えられる。ということ。あと一歩までいった人はいた。そういう人と手をつなぐことが必要だった」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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