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カテゴリ:社会時評
NHK ETV特集 「「永山則夫 100時間の告白」~封印された精神鑑定の真実~」 を録画で観た。 途轍もない貧困と誰にも愛されない家庭環境が19歳の連続射殺魔を作った。その半生は私を圧倒した。 牛乳屋で定時制高校で委員長になるような真面目さも見せる。しかし、心の内面は「人間不信と不安」の極まりだった。ちょっとしたことで被害妄想と逃走壁を持つ。PTSDだったかもしれない、と石川医師は言う。これが、もう少し裁判の中で使われたら。 「桜木町の近く、防空壕の中に入って寝ていた。親父が10円持って死んだことを思い出した」何度も自殺をしようとする。少年鑑別所でリンチされる。「耳に歯磨き詰められてさ、殴られたり」これでしばらく治まっていたPTSDがひどくなる。努力しようとも空回りになる。「努力のエネルギーは、愛情とか褒められるとか、ぐらいからしか貰えないんだよ」と石川医師。 故郷にかえる。「なんのために今まで生きてきたのかな」とつぶやいていたと母親は証言している。母親は彼に相変わらず冷たかった。1968年、横須賀基地に侵入「死んでもいい」と思っていたという。ピストルを見つける。「宝を見つけた。それ持っていたら、強いんだ」統御できない攻撃衝動、石川医師は「病的と言っていい」という。 逮捕あと沈黙を守る。精神鑑定は六年後だった。石川医師から母親の「実の母親の生い立ち(母親も実の母親から捨てられていた)」を知る。彼は「母の手記を知っていたら、事件を起こさなかった」とふと呟く。 四人を殺した人間を死刑にしなければ、死刑制度が揺るぎかねない、と当時の裁判官は云う。「この鑑定書では死刑は無理ではないか」という意見もあったらしい。しかし、最初に死刑ありき、だった。「法定で静かに語ってくれたら」と、当時の裁判官は云う。(←何を今さら!)しかも、永山則夫は鑑定書自体を否定した。自らを精神病院に入院した姉の様に見えてしまうからだったのだろう。石川医師はその後、精神鑑定を二度としなかった。 その後、永山則夫は独習で「無知」から「知的」に変わって行き、詩集や小説を出版、印税は被害者や家族に送られた。獄中結婚も果たし、生きる希望も持つようになる。犯罪者は変わり得る、特に少年は変わり得ることを鮮やかに証明した。しかし、死刑判決は覆られなかった。 私は死刑制度には反対である。理由は三つ。死刑制度は、被害者の怨みを国が代行すると云うことではない、国が国の意思で「犯罪者」を「殺す」制度だからである、ということが一つ。国の意思は、いつの時代もブラックボックスである。もう一つは、人は変わり得るからである。だとすれば、死で償うことだけが罪を償うことではないだろう。もう一つは、死刑制度が犯罪の抑止力になっていると云うデータは何処にもない。 近年裁判は厳罰化の傾向にある。しかし、我々は本当に被告人の心の中を知った上で裁いているのか。 池田幸代 @sachiike のツィートから 故永山氏の裁判は、死刑適用の際の判断基準になった。4人の連続射殺に対して最高裁が1983年、犯行の罪質、動機、態様(特に殺害方法の執拗さや残虐さ)、結果の重大性(特に殺害された被害者の数)、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等を総合的に考察するとした。 同じく。 犯罪者厳罰化派、死刑存置派は永山基準が便利だったから、「人間は変われる」とした石川鑑定書を無視したのではないか?それによって犯罪精神医学の台頭の芽をも摘んだ。もし、石川ドクターが他の犯罪加害者の脳の機能や体験の解読を継続していたらと残念でならない。 こんな『死刑基準』などクソクラエだと思う。 次回再放送は10月20日(土)深夜0:50~です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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