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カテゴリ:加藤周一
「加藤周一における「時間と空間」」ジュリー・ブロック編著 かもがわ出版 二つのシンポジウムの記録を加藤周一の著作をフランス語で翻訳したジュリー・ブロックが編集した本である。八割は外国研究者の報告の翻訳という労作なのだが、如何せん深いものは無かった。唯一良かったのは、加藤の最後の肉声を撮り、映画まで作ったNHKの桜井均氏だけだった。また、貴重な矢島翠さんのインタビューもあったので、何が書いているのか緊張したのだが、ほとんど新しいことは語っていなかった。唯一びっくりしたのは、出会いはわりと早かったこと、一緒に暮らし始めた時期が確定したことである。 桜井均の講演より 加藤さんは、日本の大勢順応主義、現在主義を生涯批判し続けました。「過去のことを水に流し、明日は明日の風が吹く」として、現在をあいまいに拡大し、責任を決してとらない日本人の態度、これを悪しき「今=ここ」主義と定義します。加藤さんは、これとは正反対に、過去の責任を現在に引き受け、未来の責任も現在に引き寄せ、意識を現在に集中し「今やらなければ」という思いで、多くの人々のところに足を運ばれたと思います。これが大勢順応主義、悪しき現在主義の対極にある、加藤さん流の「今=ここ」主義だと思います。(160p) 加藤さんは、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の「永遠と一日」という映画が好きでした。死期が迫った老詩人が、アルバニアから越境してきたストリートチルドレンを助けます。なぜその少年を助けたのか?彼が老人の目の前で警官に取り押さえられそうになったからで、老人にとって目の前のたった1人の少年の命が問題なのです。「永遠と一日は同じ重さである」、「一日の中に永遠をみなければ人生に意味はない」と加藤さんは言います。 日本語で「永遠」という言葉は、「永い」という文字と「遠い」という文字を含んでいます。長い「時間」の連なりと、遠くまで広がる「空間」。つまり、意見を変えない遥な死者と、遠い異国の理解者と語ることは、「今=ここ」に意識を集中するものにしか出来ません。はるか昔の死者や遠くの国の理解者に希望を繋ぐという話を加藤さんはよくしました。信濃追分のベンチに刻まれたラテン語「In tera pax…(地には平和を…)」は、絶望的な戦中の加藤さんにとって、この村に少なくとも1人、自分と同じように平和を願う人間がいる、これはまさに「永遠」からのメッセージだったのです。 死に直面した実朝、アルバニアの少年の命を救う老詩人、両者に共通するのは、限られた生の最後における「決断」です。そして信濃追分のラテン語は、絶望的な世界に「意味」を与えることの「希望」の象徴です。晩年の加藤さんから、私はジャーナリズムが「決断」の仕事であり、世界に意味を与えることができるという「希望」を教えられました。(165p) 矢島翠、加藤周一を語る(2009年4月) 矢島は共同通信に入って二年ホノルルにいた時に加藤周一と知り合ったらしい。一緒に暮らし始めたのは1969年から。 「昔のことはあまり知らないけれど、ただ戦争にはずっと反対だったことは確かですね」 「(日本の最も変わらない点は)天皇制でしょ。(笑)まあそれから、物事の細部ですね。ディテールに注目して、それを大変美しく表現するという。そういうことは日本人はいまでも、じゃないかなあ(笑)、変わらないことだけど。その代わり、物事を大局的にみて、そしてとくに世界のなかに置いてみて判断するということは、あまり得意じゃないということも変わっていないんじゃないかしら。」 2012年10月18日読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年11月01日 00時37分18秒
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