再出発日記

2012/11/20(火)09:40

国旗への寄せ書きに「自由を探そう」 韓旅10-1 ソウル

韓国旅行2012(171)

8月16日(木)曇 ソウル 雨は止んだ。洗濯物がたまっていて、朝早く洗おうとしたら、宿のアジュンマが請け負ってくれた。たくさんあったのに、3000w(210円)で済んだ。 今日は今回の旅の大きな目的である浅川巧の墓参を果たす(彼の生涯を描いた映画「道ー白磁の人」、小説「白磁の人」、彼の著作「朝鮮民芸論集」についてはすでに書いた)。まだ靴はびしょ濡れ。昨日買ったサンダルを履いて行く。この時は、足にピッタリのを買ったので少々歩く分はガマン出来ると踏んでいたのである。まさかあんなことになるとは‥‥‥。 地下鉄景福宮駅はいつも企画展をしている。今回は紋章の展示だった。これは1946年に書かれた国旗への寄せ書き。何処かに向かう兵士へ村の若者たちの寄せ書きなのか。日本の皇国の兵士への寄せ書きとは明らかに違う。「必勝」や「国土の防堤」という言葉もあるが、青年の自由な色んな言葉が書かれている。「自主・自立・自愛」や「未成革命(未だ革命成らず)」とか「自由 을 찾자(自由を探そう)」とか書いているのは、驚くほかはない。現代の自衛隊でも、こんな寄せ書きになるだろうか。小説「太白山脈」を読んでいると、当時は知識人の間では所謂学問の百花繚乱があった。社会主義も共産主義も実存主義も、アメリカから、ソ連からあらゆる学問(それだけではないが)が入ってきていた。その反映だとは思うのではあるが。それら文化の可能性を朝鮮戦争と祖国分断、独裁政権が台無しにしたのである。その遠因に日本の植民地支配があり、アメリカとソ連の介入があり、朝鮮支配階級の腐敗と権力志向があったのだろう。 もちろんそれらの「恨(ハン)」を解くのは、朝鮮の人々であって我々ではない。だからと言って、時々政治的に感情をあらわにする彼等を冷ややかに見て良いのだろうか、と私は思う。あまりにも私たちは、彼等の事を知らなすぎるのではないか。私たちにも責任といえるようなものはあるのではないか、と思うのである。 と、いうようなことをつらつらと思っている間もなく、地下鉄を2回乗り換えて忘憂(망우 )駅に行く。その途中にあった車内広告です。これだけ変わったら、日本の女性もやはり整形してもらいたいと思うのだろうか。それとも、気持ち悪いと思うのだろうか。韓国のテレビ番組で、有名人の整形前後をやっていた。私が知っていたのは、ドラマ「宮」のヒロインだけだったが、鼻が高い女性やニュースキャスターを見る度に「この人、整形か?」と思うようになってしまった。女性の顔を信じられなくなったのがイヤでたまらない。 忘憂駅から墓の入り口へバスで行く適当な道は、インターネットでも良くわからなかったので、歩いて行くことにした。いつもならば町歩きは大好きなのだが、今は慣れないサンダルなので、気が重い。途中でこんな馬鹿でかい教会があった。金蘭監理教会というらしい。教会は誰でも入れると、ちえぞーさんから聞いていたので、道を渡って行ってみると 侵入禁止の貼り紙が。 特に気になったのは「이단 (異端)」の文字。おいおい、見学者は異端者かよ。頼まれても入るものか! この周りの地図である。アパートは少なく、一軒家が多い。この辺りはレンガ造りの家が多く、しかも目地がしっかりしている。それはつまり、丁寧な仕事をしているということだ。なぜなら、目地が全て通るということは、ミリ単位の狂いがないということなのである(←目地鏝の幅は5ミリで決まっているので狂いが生じると鏝が通らないのである)。つまりこの辺りは高級住宅地ということなのだろう。いけすかない教会があるはずだ。 忘憂公園入り口まで来た。やっと半分ぐらいか。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る