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再出発日記

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2013年08月30日
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テーマ:本日の1冊(3685)

「ある哲学者の軌跡 古在由重と仲間たち」岩倉博 花伝社

7月に半分まで読んだ壮大な伝記風昭和史の後半。やっと読み終える。

戦中に投獄され生き残った唯物論者や民主主義者は、戦後になって平和運動、教育運動、選挙運動などに力を尽くして行く。特に古在由重は、ゾルゲ事件で殺された尾崎秀実や敗戦直前に殺された戸坂潤や戦後間もなく斃れた松本慎一などの意思を継ぐ者として、病身の身でありながら常に運動のど真ん中で考え行動する唯物論哲学者だった。しかし、古在は1人ではなかった。生涯の友人吉野源三郎を筆頭に、その時々で日本の平和と民主主義のために発言し行動する知識人と共に生きて来た。粟田賢三、家永三郎、上田耕一郎、加藤周一、陸井三郎、徐俊植、勝、京植兄弟、高桑純夫、中野好夫、真下信一、美濃部亮吉、森宏一(あいうえお順)等々である。

そして、その人生は日本における統一戦線の実現に向かって走り抜け、そして斃れた、と言っていいだろう。古在由重が1984年83歳のときに、原水禁運動の紛糾の中で日本共産党の原水協への干渉に嫌気がさして批判し、そして党を「除名」された過程はこの本にずいぶん詳しく書いてあり、当時よくわからなかった状況がやっとわかりかけた。しかし、一方の当事者である吉田嘉清の事情は全く分からず不十分なものになっている。

当時は二期八年続いた美濃部革新都政が79年の太田薫の敗北で終わりを告げ、夏の統一世界大会は74年から紆余曲折を経て一度は果たすも遅々と進まず、82年に核廃絶運動が草の根のように広がるも83年には平和行進で「旗問題」勃発、84年は中野好夫の尽力で形だけは統一世界大会はできたが、翌年はその中野も死去。85年が統一世界大会の最後になる。古在由重が前線から退けられたのは、その最中だったことになる。

当時の是非はまだよくわからないので保留とさせていただくが、古在由重の遺した「課題」は、日本の未来にとってはど真ん中の「課題」だったことは確信を持った。

現代、図らずも脱原発を巡って日本の「連帯」「統一戦線」が大きな「課題」となろうとしている。

思想は冷凍保存を許さない

古在由重の唯物論哲学は常に時代と格闘するためにあった。私は古在由重を尊敬するし、もう一度学ばねばならないことを強く感じている。

前半の読後感で宿題としていた「戦前の偽装転向体験が、晩年の共産党除籍に繋がったのではないか」という私の推測は間違いだった。偽装転向は思想の柔軟性に影響を与えただけであった。むしろ平和の問題、統一戦線問題は古在由重にとって人生の集大成とも言える「未完の革命」だった。

「90年代から加藤周一が労働者と対話を始め、講演を頻繁に行い「行動」を始めたのは、古在由重の死がきっかけだった」というのは、ますます確信を持った。

加藤周一との本格的な付き合いは1973年の赤旗連載の対談である。1976年には原水禁問題で統一のための国際シンポを開く準備会の呼びかけ人に古在と共に加藤の名前がある。加藤が日本の現実運動に
関わるのは、晩年はともかくこの当時としてはかなり異例のことであった。加藤は古在の除籍直後の
86年労働者の哲学サークル「版の会」に呼ばれている。加藤はこの会に何度も呼ばれている。これが加藤の京都の白沙会に繋がり東京の凡人会に繋がったろうことは先ず間違い無い。古在由重の告別式には「勇気ある義人」と弔電を送り、その後「追悼の集い」を家永三郎と共に加藤周一の呼びかけで行っている。また、藤沢市に古在文庫を作る際にも藤沢市長宛に推薦書を書いている。86年の「版の会」のときに加藤は雑談で隣の川上徹に「ぼくはね、いろいろなことをやったりするとき、古在さんがなんと言うかな、どう思うだろうな、といつも思うんですよ。古在さんに恥ずかしく思われることはしたくないからね」と言ったという。私は加藤の9条の会という統一戦線構想も、古在由重の顔が加藤の頭にあったのではないかと想像している。

統一戦線とは何か。古在由重は労働者にむけた古在ゼミをずっと続けていたが、1978年の講義で以下のように述べていたという。

共同行動は一時的なもので、統一行動はもう少し緊密な連帯を条件とする。そこでは共同目標を定めて組織間で行動を一にするが、統一戦線はこれより遥かに持続性を持ったものだ。
(略)
50年代に、アインシュタインがラッセルの呼びかけに応えて、その死の一週間前に核兵器廃絶に署名して以来、ゲッチンゲン宣言などに見るように自然科学者の役割は大きいが、運動の馬力は知識人・科学者にあるのではなく、あくまで労働者を先頭とする勤労大衆・市民にある。
私は40年前の「現代哲学」で、現代の観念論は科学主義的観念論と「生の観念論」に分かれ、分かれ方はますます激しくなると書いたが、科学主義的観念論者ラッセルと「生の哲学」やサルトルがなぜベトナム戦争反対で一致したのか。「思想信条の違いをこえて」とよく言うが、見逃せないのは二人の「共通なもの」「共通なものがあることによって」という点だ。二人のような高度な知識人を結びつけたもの、それはヒューマニズムではなかったか。
(略)
戦争に抗して平和を求める「常識」は、人間の根幹に触れるもの、自明のもの、「識る」というセンスに重きをおいたもので、市民社会の普通の者なら誰でも持っている。その人間の尊厳や全価値に関わっていることが、人間を突き動かすのだ。
(略)
統一戦線は相違を棚上げにするのではない。人間はいろいろな考えを持って生きている。「これ一筋」で一貫するのは稀だ。共通のところが一点あれば、それを追求する。そうすればますます共通点が広がり、仮に目的が達成されれば、また次の目標に連なっていくような統一の仕方、連帯のあり方がいま要請されていると思う‥‥。(579p)


古在由重は遂に統一戦線についてはまとまった論文を書いてはいない。それは古在由重が時代と格闘し、常に最良の答えを求めていたという証拠でもある。

脱原発と改憲問題、この二つに我々も最良の答えを求めていかねばならない。
2013年8月28日読了





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最終更新日  2013年08月30日 11時38分50秒
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