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テーマ:本日の1冊(3686)
カテゴリ:アジア映画(07)
100分de名著「遠野物語」(1) 今さらながら、録画を見ました。正直、私の趣味です。昔、斜め読みしたので、今回じっくり文章を吟味したい。石井正巳先生のいう様に「100年前の人たちが何を考えて来たのか、ということを知ることは、私たちの持っている記憶の底を知ること」だと思うからです。それは即ち、私たちのいいところも悪いところも含めて、自らを省み未来を作ることに結びつく、かもしれない。 明治43年(1910)の小冊子。柳田国男が佐々木喜善から聞き書きを纏めたもの。私は、柳田が佐々木の成果を横取りしたのではないかとずっと疑問に思っていたけど、今回これを見て柳田の「成果」であることは確信した。非常に「主体的に聞いて、主体的に書いた」のである。 遠野の地方地図を初めて見た。小さな盆地の中に、縄文(狩猟民俗)から弥生(稲作民俗)そして江戸文化から明治の文化まで、日本の歴史が風景として堆積している。 序文にこう書く。「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」平地人とは、テレビでは狩猟民を追いやった稲作民と解説していた。柳田は、この様に次々と新語を作ることが得意だ。日本民俗を体現する人たちという意味で「常民」という言葉もやがて作るようになる。平地人には、経済優先で昔の「大事なこと」を忘れた「現代人」のような意味を付加することが出来るかもしれない。 オクナイサマの事例など、昔は個人情報保護法などなかったから、実名で出ている。これは不思議だけど可愛らしい話なので、問題はないけど、川童の話はそうはならない。 五五 川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀に踞りてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女のところへ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、のちには婿と寝たる夜さえくるようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、或る者のいうには、馬槽に水をたたえその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずという者もあり。この家も如法の豪家にて何の某という士族なり。村会議員をしたることもあり。 昔も発達障害の子どもは産まれるだろう。河童の子ならば、殺してもいいだろう、ということを、村人は河童に託して言い訳していたのではないか。 何度も書いたことがありますが、私は大学時代に民俗学の自主的サークル「常民文化研究会」に入っていたことがあります。そこで、岡山県の北のK村の民俗調査を泊まり込みでやりました。その時に出て来た「ウワサ話」が「キツネつきの家」というものでした。しかし、既に昭和56年にもなろうとしていた頃で、遠野のように明確な「話」としては残っていなくて、あまり深まりませんでした。指導教官の見解は「当時の金持ちを周囲が嫉妬して、その中の病気を持った者をそう呼んだのではないか」というものでした。 河童の話も、それに似ている。だとすると、精神疾患や子殺しは、正に現代の話でもある。人々の「負の話」に対する、眼差しと対応、そこにわれ我々は何かを学ばないといけないだろう。 それは、責任逃れということもある。臭いものには蓋をする、ということもある。また、河童を逃がす話にあるように、何とかして共存していこうという気持ちの現れもあるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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100分de名著の遠野物語、面白いですね。先生が淡々と深いことをおっしゃるのも、とてもいいです。
平地人に追いやられた山の民の村、という哀しさが、遠野物語の底に流れているんですね。 また、2回目では、現在では「心の病」の対処法がある点は良いが、病名がついたことでコミュニティにいられなくなっている。遠野物語の世界では、対処法がないけれど、彼らは人と違った能力があるとして、居場所が与えられていた、失ってしまったものが遠野物語にはある、そこから学ぶべき・・・というお話、まさに学問って、こういうこと!と思いました。 (2014年06月14日 21時12分58秒)
薔薇豪城さん
>100分de名著の遠野物語、面白いですね。先生が淡々と深いことをおっしゃるのも、とてもいいです。 > 平地人に追いやられた山の民の村、という哀しさが、遠野物語の底に流れているんですね。 > また、2回目では、現在では「心の病」の対処法がある点は良いが、病名がついたことでコミュニティにいられなくなっている。遠野物語の世界では、対処法がないけれど、彼らは人と違った能力があるとして、居場所が与えられていた、失ってしまったものが遠野物語にはある、そこから学ぶべき・・・というお話、まさに学問って、こういうこと!と思いました。 ----- 柳田の民俗学の目的はハッキリ「経世済民」にありました。志はそうでも、果たして結果としてそうなったのか。大学生の私は、疑問を持ってずいぶんと離れて、どちらかというとマルクスの方にいきました。でも、この歳になると柳田の評価は次第に上がって来ているのです。 (2014年06月15日 02時07分17秒) |
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